スマホが起こす「自分病」って何?

スマホ(スマートフォン)はもはや国民1台以上持つほど当たり前のものとなっていた。10年ほど前までは今も残っているのだが、二つ折りの携帯電話であることが一般的だったのだが、時代の流れとともに変わっていっていることが確かにある。

しかしそのスマホが広がりを見せたことによる「弊害」も発生している。どのような弊害かというと、スマホに依存するあまりに、思考力が落ちるといった論者もあれば、本書のように人間関係が希薄になる、アイデンティティを失ってしまうと言う側面がある。本書はその中でもアイデンティティと人間関係の希薄化を指摘するとともに、その解消法はどうしたらよいかを取り上げている。

第1章「友情か、儀式化した人間関係か」

スマホ自体が人間関係を希薄化するかというと、必ずしもそうではない。もっともスマホの中にあるアプリ、特にSNSなどのコミュニケーションアプリが広がりを見せたことにより、挨拶ややりとりが短い言葉だけでできることにより、言葉のやりとりを直接を個なうことがなくなる。またLINEなどではスタンプを送ると行ったこともできるようになり、それもまた希薄化の側面の一つとも言える。

第2章「なぜスマホは依存症になりやすいのか」

元々依存症は日本でもけっこう多くあり、病気の所では薬物依存症やアルコール依存症といったものがある。さらにはゲーム依存症と言ったこともWHOで疾患と認められたことは有名な話である。しかもここ最近では「スマホ依存症」なるものも出てきており、その影響を本症にて指摘している。

第3章「「合わせなくちゃ」にしばられる人間関係」

スマホはゲームと異なり、単純に自分だけの世界にのめり込むだけでなく、SNSにて他人と関わることによる、SNSならではの歪みも生まれる。それは本章のタイトルにあるように「合わせないといけない」といった強迫観念に迫られる部分がある。

第4章「ネットの人間関係が失うもの」

ネットにより人間関係が失うかというと、そうではないかも思うのだが、しかしながらSNSまでしかできないような人間関係も考えるとなると、その弊害により、「リアルの人間関係が失われる」と著者は指摘している。リアルで話すことによって文字以上の感情を知ることができる側面がある。

少し私事となるのだが、当時TwitterやFacebookが栄え始めた時に、当ブログを続けていたのだが、その時はリアルとSNSの両方にてやりとりを行っていたため、実際に人間関係が失ったかというと、むしろ広がった。そう考えると、SNSを使うにも「リアル」「ネット」双方にて「どう使うか?」によって、リアルの人間関係を広げたり、失ったりするのがSNSではないかと考える。

第5章「家族を「自分病」から守ろう」

本章は特に家庭を持たれている方々向けの所である。特に自分の子供がスマホ依存症になっていないかと言うことをキチンとチェックを行った方が良いことと、実際での会話のやりとりを行う重要性を本章にて説いている。

第6章「困ったときだけ、スマホに頼ってみたら…」

元々スマホは携帯電話の進化形で、メールをはじめ様々な機能を換え備えている。そのため利便性が非常に高いのだが、人によっては「スマホがないと生きていけない」と言うような依存症になってしまう人もいる。

少し考えてほしい。もしネット環境がなくなってしまい、ネット通信ができなくなったとき、どうなっていくのか(通話機能はそのままで)。私であればネット通信はできなくても、紙の本かあらかじめダウンロードされた電子書籍で本を読み、メモをすると言ったことを行う。実際に私自身はスマホをガラケーに切り替えたとしてもあまり困る事はない。

ではあなたはどうか。そう考えるのであれば、一度スマホを携帯せずに外に出て見るのも良いだろう。もっと言うと会社勤めであればスマホを置いていく、もし通話だけが必要であればモバイル通信やWi-Fiを切断して1日過ごすということもやってみるのも手である。1日過ごしてみると、どれだけ依存をしているのかがよくわかる。

便利な世の中になっているのだが、その中にある「不便」な弊害がある。本書ではスマホが充実化することによって、実際に人と会うことや電話を行う事が少なくなっていることへの弊害を指摘している。

ただ本書が出た2018年では通じる部分があるのだが、現に新型コロナウイルスの影響により、「リアル」の部分で会うことは難しくなっている。人間関係の希薄化を防止するためのツールはZoomにしても、コミュニケーションアプリでの通話などでもやってみることも一つの手かも知れない。