言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか

M-1は2001年からスタートし2011年から2014年までの休止期間はあったものの、現在もなお続いている。なお優勝者のほとんどは吉本興業であり、それ以外の芸人が優勝したのは過去に3組しかない(最後に受賞したのは2007年のサンドウィッチマンである)。20年ほど歴史のあるM-1はなぜ関西、もとい吉本が席捲しているのか、そして関東芸人はどう立ち向かうべきか、そのことを取り上げている。

第一章「「王国」 大阪は漫才界のブラジル」

吉本興業は1912年に創業し、来年で110周年を迎える。元々は寄席経営だったため、落語家を抱えることが多かったが、30年代に入ると、横山エンタツ・花菱アチャコをはじめ漫才コンビも出てき始めた。高度経済成長になってくると、MANZAIブームが起こり、メディアにて吉本芸人が数多く出るようになった。そのことにより、本章のタイトルにある「ブラジル」をつくり上げた。

吉本の漫才スタイルはしゃべくり漫才のスタイルが多いように見えるのだが、著者は関西からの発想としてあるという。夢路いとし・喜味こいしや横山やすし・西川きよしなどをはじめ関西を代表する漫才コンビはしゃべくりであることが多い。とはいえど、春日三球・照代といった関東の芸人もまた日常からしゃべくりを広げて一種のギャグに昇華する方々もいる。

第二章「「技術」 M-1は100メートル走」

本章のタイトルは何とも含蓄が行くような気がする。実はM-1には制限時間があり、結晶でもわずか4分、予選では2~3分といったものである。ナイツは元々寄席で活躍しており、寄席では10分で終わることは珍しくなく、もっと長いものもある。関東の芸人になると、寄席で活躍される人々も多くあったことから、制限時間の短いM-1には合わないのだという。

第三章「「自分」 ヤホー漫才誕生秘話」

ナイツの漫才は独特なものであるのだが、その独特な漫才を生んだ要因としてはM-1があった。そこからM-1の決勝戦の舞台を何度も踏んだのだが、最高順位3位で優勝を獲得することができなかった。吉本芸人のM-1への適応力と勝利への執念に泣かされることの連続だった。

第四章「「逆襲」 不可能を可能にした非関西系のアンタ、サンド、パンク」

関西以外で優勝した初めてのコンビは2004年のアンタッチャブルである。ちなみに吉本以外では2002年のますだおかだがあるが、こちらは関西である。特にアンタッチャブルとサンドウィッチマンは関西でもなく、吉本でもない芸人でM-1を制した数少ないコンビである。なぜそのコンビたちは不可能を可能にしたのかを著者なりに分析を行っている。

第五章「「挑戦」 吉本流への道場破り」

2010年前のM-1を「第1期」、2015年からのM-1を「第2期」としているのだが、ナイツはその両方に参加している。第1期と第2期の違いとはどこにあるのか、そして現在の漫才は果たして「漫才」なのかという議論について取り上げている。その議論の中には昨年悲願の優勝を遂げたマヂカルラブリーもある。

第六章「「革命」 南キャンは子守唄、オードリーはジャズ」

関東系の芸人が今の漫才に影響を与えなかったかというと決してそうではない。第四章で取り上げたアンタッチャブルやサンドウィッチマン、パンクブーブー然り、結晶で活躍をした南海キャンディーズやオードリー、スリムクラブがある。関東の芸人でも勝てる要素がある光明を本章にて見出している。

M-1は関西、もとい吉本にとって強い土壌であることは間違いない。しかし吉本の芸人たちも吉本ばかりに向いているわけではない。

偶然見つけたのだがナイツの師匠である今は亡き内海桂子が内海好江と漫才を組んでいた時、とあるネタでは、後に大御所となった今いくよ・くるよが袖で漫才を見て笑いながら勉強をする映像が流れていた。関東も関東で漫才、M-1に対して貪欲であるとするならば、関西も関西で貪欲である、と言うことがよくわかる。

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