日本のコメ問題-5つの転換点と迫りくる最大の危機

日本人の多くはコメを主食としており、日本でも多くのコメを生産しているのだが、そもそもコメの生産自体が時代の「変化」にさらされ続け、問題視され続けている。しかしその「問題視」のあり方も時代共に変化し続けているのだが、その「変化」には何かしらの「転換点」が存在している。その「転換点」とこれからのコメの生産はどうあるべきなのか、本書にて取り上げている。

第一章「コメと田んぼに分けると見えてくるコメ問題と今」

日本の国土は他国と比べて狭いが、コメはその中で作られている。しかし主に作られている地域もけっこう限られており、けっこう身近で有ながら、場所として疎遠な地域で作られているケースがほとんどである。

第二章「コメに満たされた日本人―第一の転換点・1967年」

この「コメ」にまつわる問題の多くが「田んぼ」の部分であり、その田んぼから作るコメの生産量にも影響している。第一の転換点として1967年があるのだが、「コメの自給達成」を挙げている。しかしその「達成」は手放しで喜べるものではない。理由として大東亜戦争後から日本人の食がコメからパンなどへの「欧米化」が進み、需要が下がっていったことが挙げられる。コメ以外の食材の中には輸入に頼らざるを得ないものも当時から少なくなかった。

第三章「コメ余り問題から田んぼ余り問題へ―1978年」

コメの生産自体は比較的安定しているように見えて、需要がだんだんと減るようになる。その結果出てきたのが第二の転換点として「コメ余り」である。その対策として「減反政策」、いわゆるコメの生産調整を政府の施策として1970年に開始された。そこから今度は「田んぼ余り」が出てきたのも本章のタイトルにある1978年の時である。

第四章「コメ問題の国際化―第三の転換点・1993年」

減反政策により、生産量はある程度コントロールされていた。しかし1993年、フィリピンのピナトゥボ山の大噴火が起因となる大冷夏により、食糧市場が混乱。日本でもコメが記録的に不作になったことにより、タイ・中国などからコメの緊急輸入、さらにはヤミ米の流通などが相次いだ。このことがきっかけとなり、食糧管理法から新食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)へと移行することとなった。

第五章「水田フル活用という思想の誕生―第四の転換点・2008年」

しかし減反政策はまだ続いており、またコメの需要も減少するばかりである。それ故に田んぼ余りはまだまだ残っていた。その転換点として2007~2008年にあった食糧危機をきっかけに、余った田んぼに別の作物をつくり、フル活用する施策を自民党、そして当時の民主党にて行われた。

第六章「現代のコメ問題の根底」

日本人はコメを主食としていたが、最近ではコメ以外を主食にする人も多い。そのためコメの需要は減少し、水田余りも出てくるようになった。ちなみに減反政策は2018年をもって終了したが、それでもコメ需要の減少に歯止めがかからない。もっともこういった問題の根底に、

「胃袋を農地に合わせる」か「農地を胃袋に合わせる」かp.244より

があると考えられる。食は常々変化する。その変化を農地が合わせられるかという考えだが、そもそも農地もさることながら日本の自給自足にかかるものとして先述の根底をどうするかによって解決法も大きく変わってくると思わざるを得ない。

第七章「農地が余る時代の到来―第五の転換点・2052年」

田んぼあまりの後、違う農作物への転換も行っている。しかし未来として今度は「農地余り」があるのでは無いかと著者は推測している。人口の減少はもちろん事、「食」に対しての「変化」が農地に追いつかなくなることも論点として挙げられている。

日本に限らず「食糧」にまつわる問題は世界各地にて存在している。では農業政策をよくしたら良いかとなると、政府だけでできるようなものではなく、農業団代はもちろんのこと、就農を行っている方々それぞれのマインドの変化も必要になってくる。コメ問題から発する農業・食糧にまつわる問題は一筋縄ではいかない。

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