徳川家康の勉強法

徳川家康に関しては今年はけっこう話題となっていることが多くあります。今年の大河ドラマは「どうする家康」であり、「葵 徳川三代」以来23年ぶりに徳川家康が大河ドラマの主役となりました。

徳川家康とは江戸幕府を興した人物であると同時に、興すまでの中で戦国時代の波乱を生き抜いてきた人物でもあります。その徳川家康がどのような学びを行い、長きにわたる江戸幕府を興すことができたのか、その方法を本書にて取り上げています。

第一章「自分が弱者であることを学ぶ」

元々徳川家康は松平広忠の嫡男として生まれ、幼名は「竹千代」と呼ばれていました。しかし6歳で「人質」として今川家、さらには織田家へと送られることとなった。人質生活の中で、自らを「弱者」と考え、「吾妻鏡」などを愛読しつつ、武士としての教養・力を蓄えていきました。

第二章「信長と信玄に学んだ最適な戦い方」

戦いを通して得られるものはあるのだが、特に敗北と呼ばれた戦いの中、さらには敵将や自軍の将軍からの学びもありました。もちろん戦いを通して、また仕えていく中で得た学びはいったいどのようなものだったのかを取り上げています。

第三章「秀吉からくだされた最高のごほうび」

今川家・織田家へと人質生活を送り、今度は織田家へと仕え、やがて豊臣秀吉にも仕えるようになりました。もっとも仕えるようになるまでには敵対することもあり、戦ったこともあります。しかしながら、秀吉に仕えた中でも、得られるものがあったのだが、なかでも「ごほうび」がありました。その「ごほうび」こそ後の天下泰平への礎となっていきました。

第四章「「学び」を総動員して実現させた天下泰平」

秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いを経て江戸幕府を興すこととなりました。特に関ヶ原の戦いでは本章のタイトルの如く、これまでの「学び」を総動員してのものであったといいます。

第五章「健康で長生きしてこそ成し遂げられることがある」

徳川家康は75歳で没しました。しかしこの時代においてはかなり長生きした人物でもあります。なぜここまで長生きできたのか。そこには今で言う所の「健康オタク」と呼ばれるほどの事を行ったとされています。ではどのような健康法を行ったのかを本章にて取り上げています。

第六章「凡人・家康の功と罪」

第一章でも取り上げたように自らを「弱者」と捉え、多くを学び、実践してきたことにより、自らも征夷大将軍となり、江戸幕府を興した人物となりました。その学びを積極的に行ってきた徳川家康もまた失敗を重ねてきましたが、後々になって「失敗」となったこともあります。本章では功罪と題してそのことを取り上げています。

まとめ

家康の学びは様々とありますが、どのような学びを得てきたのかは断片的に取り上げられた本はいくつもありましたが、本書ほど学びに着目して取り上げた本は無かったです。徳川家康がなぜ貪欲に「学び」を求め、実践していったのかがよくわかる一冊でした。

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