「快楽」は誰でも欲したがる欲求の一つである。嗜好品もその快楽を満たすための一つとして扱われるが、最近では「健康」への渇望からか、それが否定敵に捕らわれることも少なくない。
本書では「快楽」「嗜好」そのものの効用などのあれこれについて語った一冊である。
第一章「煙草の愉楽」
私は煙草は吸わない。厳密に言えば一度だけ吸わされた経験があるが、ひどくむせてしまった。そのため煙草は吸っていない。
最近では煙草の広告ですら、排斥されてしまうほど、あたかもアレルギーのような反応を起こす人や団体が数多い。
煙草は健康に害するものである事は実証されているが、元々は「嗜好品」であり、むしろ余剰だからでこそ得られる快楽を求めて作られたものである。
「健康」への渇望はわかるが、それ以上の愉楽を求めるのであれば口出しをしないでほしい、ということを言っているのだろうか。
第二章「味覚の迷宮」
本章から四章にかけては「甘味」や「間食」に関する諸々について述べている。
これも「健康」の事で淘汰されるものの一つとして挙げられているが、煙草ほどアレルギーのように淘汰されることはない。
本章では「甘み」そのものの語源からなぜその言葉が生まれたのかという根本的な所を論じている。
第三章「砂糖への欲望」
砂糖は大昔からあるのだが、日本では安土桃山時代から輸入され始めたとある。
本章では日本ではなく、西洋やイスラム教国での砂糖の在り方についてが中心である。
第四章「スイートメモリー」
確か松田聖子の曲にそういったのがあったような気がする。
それはさておき、本書では日本におけるおやつの歴史について取り上げられている。明治時代の初期に「あんパン」などが誕生し、「間食」という言葉も使われ始めた。ちょうど西洋から文化を取り入れられ始めた時期であった。
第五章「最後の晩餐」
「食」にあまり関わりづらい所であるが、「死ぬ前に何を食べたいか」ということを問いかけている章である。
もし自分が明日死ぬとわかったときに何を食べたいか・・・。私だったらジンギスカンを食べたいと答える。
第六章「<デブ>の奈落」
甘味だけではなく、ハンバーガーなどファストフード・ジャンクフードが誕生したことにより「肥満」に拍車をかけた。そのことからアメリカをはじめ先進国では「肥満対策」というような事を行っている。
本章ではファストフードやトランス脂肪酸などの歴史から、そして「健康ゴロ」といった「健康」をうたった権力の存在についても述べている。
私はつくづく思う。健康的で長寿で、それでいて嗜好品にはありつかない人生が「正しい人生」なのか、と。もし他人だけの人生であればそれでいいのかもしれないが、「自分」への愉楽はどうするのだろうか。それは淘汰されて良いものなのか。私はそう思わない。嗜好品などの「快楽」があるからでこそ人生は「面白い」のである。本書はそれを再発見することのできる一冊である。
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