逆パノプティコン社会の到来

おそらく多くの方が「パノプティコン」って何?と訊くかもしれない。本書の前書きにも記載されているが、「パノプティコン」とは「全展望監視システム」のことを言う。本書では「看守と囚人」に例えられているが、簡単に言うと政府が国全体、あるいは国民を「監視」するという意味合いを持つ。しかしウィキリークスなどの誕生によりむしろ私たち国民が政府を「監視」するようになることから「逆パノプティコン」ができているのだという。

本書は「ウィキリークス」や「フェイスブック」が「逆パノプティコン社会」を作るまでの構図とこれからについて考察を行っている。

第1章「ウィキリークスの誕生」
今年の初め頃から「ウィキリークス」が話題として挙がった。その「ウィキリークス」はいつ誕生したのだろうか。少し調べてみると、2006年12月に誕生したという。
しかし、この「ウィキリークス」はどういった役割を果たしたのだろうか。簡単に言えば「機密情報」といった情報を公開させる、大義名分で言うと圧制を敷いている政権や企業・団体を告発し、「可視化」や「透明化」をめざしつつ、告発者の「完全匿名」を担保するというのがある。

第2章「ウィキリークスと外交」
今年の事柄の中で代表される言葉として「ウィキリークス」は挙げられるだろう。もっとも代表されるものでは、アフガン戦争の機密文書の公開がある。

第3章「サイバー戦争の勃発」
「サイバー戦争」のことについて取り挙げられているが、「サイバー戦争」自体は今に始まったことではなく、少し前から起こっていた。国単位というよりも様々なところで無差別な攻撃が行われているが、近年ではターゲットを絞った局所的な攻撃が目立つようになった。本章では「反ウィキリークス」への報復でのサイバー攻撃についてを見ている。

第4章「ウィキリークスとジャーナリズム」
ウィキリークスの情報公開によってジャーナリズムの在り方はどう変わっていったのだろうか。本章では、そのことについて考察を行っている。本章を読むまでの考えは既存マスコミが敵視しているような構図を連想させてしまうのだが、実態はそうではなく連携関係になったことがあった、ということにある。「情報漏洩」ではなく、あくまで「告発」をしている訳であるから、それと連携関係を持つことによって「社会の透明化」を目指すことへの加速となる。しかし蜜月関係は続かず、決裂をしてしまうのである。

第5章「ウィキリークスと企業」
ウィキリークスの次のターゲットとして「米国金融機関」としていた。政府ほどではないがシークレット事の多いのが企業であるが、その代表格として銀行をターゲットに下のである。企業には私たちの生活の中では気づかない秘密が隠されている。時として非人道的・非倫理的な事が行われることもある。それを暴き、風通しの良いものにしていくのもウィキリークスとしての大義名分であるという。

第6章「ウィキリークスの未来」
ウィキリークスはどこへ向かうのだろうか。ウィキリークスの創設者は別の容疑で逮捕されている事実はある(婦女暴行容疑)。しかし創設者が逮捕されたとしても、ウィキリークスがこじ開けた風穴は広がり、やがてウィキリークスとして目指している「透明化」は加速していく。

第7章「フェイスブック革命」
ソーシャルネットワークによる革命は「ウィキリークス」ばかりではない。最近ユーザーを急速に増加させている「フェイスブック」もその役割を果たしている。2011年1月、チュニジアで「ジャスミン革命」が起こった。24年もの長い間独裁政権を敷いてきた大統領が辞任をし、亡命したという革命である。そこでは大規模なデモが行われており、その多くは若者であった。その若者たちは「フェイスブック」を通じて連携をはかり、規模が雪だるまのように大きくなったのである。
そしてそれはエジプトやリビア、さらにはバーレーンなどの中東諸国にも飛び火し、やがて各国で大規模デモが行われるようになった。ソーシャルメディアはついに国までも動かしてしまうようになったと言うべきか。

「ウィキリークス」も「フェイスブック」も代表されるソーシャルメディアの1つである。しかしそのソーシャルメディアが社会そのものを動かす、あるいは政府などの国家を「監視」する役割を果たしていると言っても過言ではない。もしかしたら圧制を敷かれていた国の国民たちはそれを通じて革命を起こす、といった国も出てくるのではないか、と考える。そして政府を監視する一大ネットワークとなり、限りなく「透明」な社会ができあがる、というわけであろうか。