これまで当ブログでは「著作権」にまつわる本をいくつか取り上げている。技術の進化により、著作権そのものが問われ始めている。
しかし本書で紹介される「追及権」というのは初めて聞く。ましてや本書に出会うまで「つ」の字すら知らなかった。「追及権」とはいったい何なのか、本書は著作権そのもののメカニズムとともに解説している。
第一章「芸術家は貧しいのか」
著作権の話にはいる前に元々芸術家はどのようにして生活をしていったのか、という話に入る。それは「パトロン」の存在である。パトロンは資産家や王侯貴族など、自ら専属の芸術家を雇う形式であり、芸術を提供する対価による収入で芸術家はそれなりの生活を送ることができた。
しかし、いつしか王政などが崩れ、パトロンも廃れていき、芸術家も貧しくなった。
第二章「芸術家と著作財産権」
ここから著作権そのものの話に入ってくる。ここでは美術や音楽、さらには書籍などの著作の「複製」と著作財産にどのような影響を及ぼすのか、について説明している。著作の複製自体は著作権法によって制限というよりも条件付きで許可をしている。
第三章「芸術家と著作者人格権」
著作者の人格をまもる権利のことを「著作者人格権」と読んでいるが、具体的には三つの権利がある。
・著作物を公表する権利(公表権)
・公表や上演時に著作者の氏名を明示することを義務づける権利(氏名表示権)
・作品に本人の許しを得ることなく、勝手に変えることを許さない権利(同一性保持権)
とりわけ3つ目の権利で分かりやすいものでは「おふくろさん騒動」が挙げられる。
第四章「追及権の始まりと今」
いよいよ本書の核心である「追及権」の話に入る。もっとも美術作品に対してそのことが当てはまるが、自ら創られた作品がオークションなどで転売されることによって、販売額がつり上がる、そのことにより制作した人の知らないうちに著作者の利益が蔑ろにされてしまう。
そのことを防止すべく、販売された額の数%を制作者に納めることにより、利益を受ける権利を担保できるものである。
「追及権」が世界で初めて唱えられたのは1893年のフランスのある弁護士がミレーの「晩鐘」についての主張である。
第五章「追及権と制限規定のバランス」
本章では追及権が名文化されているものの中で「欧州指令」というEU内で定められている法律である。では日本ではどうなのかは次章にて述べられている。
第六章「追及権は芸術家を救えるのか?」
欧州や米国では「追及権」は名文化されているが、日本ではそのような権利は導入されていない。その理由については本書では明言されていないが、おそらく認知度が低いと推測される。しかし著作権そのものの関心度が高まっていることから追及権も叫ばれ始めるのも時間の問題かもしれない。
本書では追及権そのものは美術作品が中心であるが、これは音楽・ドラマ・アニメ・マンガ・文芸作品なども追及権として該当するのでは、と考える。
それはさておき、あまり認知されていない「追及権」がどのようなものか、そして日本でその「追及権」が認知される起爆剤となる一冊が本書と言えよう。
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