ネットとリアルのあいだ―生きるための情報学

インターネットが台頭したことにより、情報を傍受するだけではなく、自ら情報を発信することができるようになった。しかしネットが台頭することによって「うつ症状」にかかる人も出てくるようになったのだという。IT化が絡んでいるとはいえ、仕事のスピードも量も飛躍的に進化している。そのこともあってか人間関係も希薄になったことによることもある。

本書はネットとリアルの「私」についてを解き明かすとともに、そのような時代の中で「生きる」とは何なのかを追求している。

第1章「ITが私を壊す?」
ネットが進化し、ホームページやいわゆる「ブログ」と呼ばれる簡易ホームページも作られ、最近ではTwitterやFacebookなどのソーシャルネットワークも誕生し、様々な表現の場、自分を表す場ができた。しかしこれらが誕生することによって、リアルとネットとの「自分」を使い分けることができるようになった。ある種の「二重人格」がここでできる訳である。それだけではない。ネットゲームが誕生したことにより「ネトゲ中毒」や「ネトゲ廃人」が日本のみならず韓国でも出てくるようになり、それが「かい離性人格障害」という症状もでる人も出てきた。

第2章「生きることは創りだすこと」
人間に限らず動物は様々な情報を傍受し、発信することができる。その中でその情報を取捨選択し、理性でもって判断することができるのは人間くらいである。しかし、その理性も「混濁」に近いほどの情報が飛び交うことにより、判断を失い、理性も失いかねなくなる。
そのような現状の中でもっとも重要視されるのが、本来人間が持っている「つくる」ことにある。これは機械などを造るというよりも、行動をすることによって未来を創り出す事を本章では説いている。

第3章「未来のネット」
では未来のネット像はどうあるべきか。最近では「考える」ことよりもGoogleやYahooなどで「調べる」ことで事足りてしまう時代である。考える力、というよりも古代ギリシャで存在した「ソフィスト」のような状態の人が多い。そうではなく、ソクラテスやデカルトのように「考える」「無知の知」がこれからのネットにとって重要な役割を担うだろうと分析する。

IT化することにより、仕事や情報はスピードや量・質ともに格段な進化を遂げた。そして便利になった。しかしその便利や進化を遂げるあまり、「効率」ばかりが重視されてしまい、人間としてのあり方が軽視されてきたのかもしれない。これからのITは本来、人間として本来持っているものを生かすことが重要であるという。

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