灘中・灘高と言えば、東大・京大への輩出の多い進学校として有名である。灘中・灘高・東大もしくは京大と進学し、さらに政財界に活躍している人物も多い。
その灘中は2009年、「銀の匙」を3年間かけて読むという「超スロー・リーディング」の授業が取り上げられたことから「奇跡の授業」として話題を呼んだ。「橋本ブーム」と呼ばれるほど人気が沸騰するほどであったのだという。
本書はその「銀の匙」を取り上げた「超スロー・リーディング」の授業を中心に著者が「もっとも近い恩師」と定義している橋本武氏の授業について紹介している。
第一章「手作り教材にかけたある教師の思い」
橋本氏の「銀の匙」の授業は、学習指導要領に則した教科書を使わず、手作りの「銀の匙研究ノート」と「銀の匙」を教科書として授業を行う形式のものである。その形の授業を考え、決めたのが戦後間もないときである。自分のカラーを見出そうとして選んだのが「銀の匙」だった。
第二章「自由奔放な授業」
「百人一首カルタ」「駄菓子の食べ比べ」「凧揚げ」
これらもすべて橋本氏の授業の一つであるという。「銀の匙」は中勧助の少年時代を自ら回顧した作品であるため、そのような描写は存在する。学生たちが少年時代の「中勧助」を学生なりに再現し、五感をもって「学び」「理解する」ことの本質をもって日本人と日本語を磨いていき、東大や京大の現役合格を多数輩出していった。
第三章「「銀の匙研究ノート」から学んだこと」
「銀の匙」と言う作品は、日本を代表する作家・夏目漱石が「きれいな日本語」と絶賛するほどの作品である。
その「きれいな日本語」の中にはなかなかふれることのない語彙も少なくない。その「なかなかふれることのない語彙」を解説しながらもさらに深堀していくことによって、作品の深みが増し、日本語の語彙力を磨き、さらに多様で繊細な日本語としての表現を磨くこともできる。
第四章「驚異の趣味人先生」
橋本氏はまさに「趣味人」という言葉を表現した方であるという。「おしゃれをすること」もさることながら「宝塚鑑賞」や「青蛙人形集め」を本章では代表として取り上げている。
いずれも「楽しむだけ」の趣味から、様々な交友関係をもち、「趣味」の域を越え人間性や交友関係を広げ、「銀の匙」授業の糧にもなったと言える。
第五章「橋本流文章鍛錬法」
ここまでは橋本氏の授業は自由奔放である、という事を語ってきたが、橋本氏の授業は国語力、文章力を磨くことにある。その「文章を磨く」ことは「読書感想文を書く」「短歌」や「詩」を覚える・書くといったこともやったのだという。これがかなりの頻度で行わなければならなかったので過酷なものであったと著者はじゅうかいしている。
さらに「古典の共同研究」もまた過酷なものであったという。しかしそれらの教育により文章表現を持ちつつ、個性を育ませた。
第六章「私の教育改革論」
著者は現在神奈川県知事として活躍している。自分の住まいも神奈川県であるため身近と言えば身近である。
その著者は教育改革にも恩師の存在がいることの重要性を説いている。
今となってはこのような授業をすると、PTAや日教組が黙ってはいない事だろう。むしろ政治家や自由を嫌悪するメディアがこぞってバッシングするかもしれない。しかし本当の「学び」や「教育」はそこからきているのかもしれない。
学習指導要領による教育も様々な知識や学びを持つのも一つの手段であるが、一つのことから派生し、追求して伸び伸びとしながら学びの本質や気づきを得ることもまた「教育」である。橋本武氏の「銀の匙」授業はその本質を突いた授業であると言っても過言ではなく、今日の教育界にとって大きなヒントを与えた一冊と言える。
本書に乗じて、というわけではないのだが、「銀の匙」の著者である中勧助は様々な小説を世に送り出した。「銀の匙」を中心にしながら中勧助の作品を3月に当ブログにて一週間シリーズとして取り上げる予定である。まだ作品を選定中であるが、どのようなシリーズになるのか、自分でも楽しみながら進めているところである。
コメント