最後のイタコ

本書のタイトルを読むとイタコの文化が衰退しているように思えてならないが、本書はイタコとして最年少で活躍している女性の半生を振り返っている。そもそもイタコとは、

「日本の東北地方などで口寄せを行う巫女で巫の一種。 シャーマニズムに基づく信仰習俗上の職」Wikipediaより)

とある。よく青森の「恐山」が挙げられるのだが、そもそもなぜ彼女はイタコへの道を決心したのか、そしてイタコとしての生き方は何なのだろうか。自分の人生を振り返りながら取り上げているのが本書である。

第1章「苦悩の日々」
元々著者は青森県八戸市に生まれ、イタコも身近な存在だったという。元々病弱だったのだが、ある一人のイタコによって様々な交流を育み、イタコへの道を歩み始めたという。そう「なぜイタコになったのか?」という質問には、小さい頃から当時現役のイタコとの交流があったということからである。
もちろん両親の反対もあったのだが頑として変えなかったという。

第2章「イタコへの道 ―決心―」
イタコへの道を志し、きっかけをくれたイタコの所へ修行に行くこととなった。高校生になってのことである。もちろん本格的な修行は高校を出てからと言うことだったのだが、著者はイタコの修行をやりたがっていたので、「押しかけ弟子」と言う形で身の回りの世話をするようになった。
また高校生になるまでは周囲に気遣いイタコを志すと言うことを話さずにいたのだが、高校生になってからは話すようになった。土地柄イタコの存在は馴染み深いものであり、かつイタコの修行をしていると言っても驚きもなかったのだという。

第3章「イタコとして生きる」
高校を出て本格的な修行になり、一人前になったのは19歳の時である。その後恐山の夏の大祭でイタコデビューを飾り、念願のイタコとしての道を歩み始めた。
しかし一人前になってからは順風満帆ではなかった。当時10代~20代のイタコはほとんどおらず珍しい存在であるせいか、イタコに悩みに来た人からの好奇な目があったこと、さらにイタコは女性がなる仕事だったためか「女の修羅場」と言うのも存在したことにより、苦しめられたこともあったという。
そして大先輩から「社会勉強をしなさい」という一言があった。その一言を実践するようになったが、常識の違いにより戸惑いがあった。

第4章「死後の世界はあるのか」
「恐山=イタコ」というイメージが多いのだが、そもそも恐山はどのような場所なのか、「死者を供養する山」とあり、入口に近い橋の辺りには「三途川」という石碑まである。もっともそのイメージが定着するようになったのは昭和に入ってからであり、元々は仏教における天台宗の僧侶によって開山した山である。
そして本章では特に印象のあったエピソードも含めて相談する際のマナーについても提示している。

第5章「先祖は私たちを生かしている」
最近「パワースポット」なるものがブームとなっており、ある新聞のアンケートでもパワースポットとして2番目に人気のあるスポットとして恐山が挙げられている。スピリチュアルやパワースポットが好まれる理由としては精神的に疲れやすい現状があると言うのも著者は指摘している。もっとも精神的に病んでいて、そのことで相談しに来る方もいて、相談の中で自分自身の持っている根本的な感情を解き放って解決する方も少なくないという。

「最後のイタコ」と名づけられた理由、それはイタコそのものが絶滅危惧種になっていること、そして自らが最年少のイタコであることからそう名づけられている。しかしイタコに悩みを乞う方は今も昔も変わらない。

「20年がたってしみじみ思うことは、どんなに科学が発達しても暮らしが豊かになっても、人の思いは変わらないということです。
 あの世へ先立った人を思い続ける気持ちは、これから何年経っても、皆持ち続けていくでしょう。
 そんな方たちのために、師匠から受け継いだイタコの技を、未来へつなげていくことも私の大切な役目だと思っています」(p.172より)

著者は現在もイタコとしての活動のみならずマスコミやイベントの出演を欠かしていない。それは減少しつつあるイタコの伝統の認知、そして今の時代だからでこそイタコの存在があると言うことに他ならない。その思いを秘めて今日も彼女は活動を続けている。