謝罪大国ニッポン

「どげせん」「謝男(シャーマン)」をはじめ、謝罪や謝ることについてを中心に取り上げた漫画も数多くある。そのことがネタになるほど日本はありとあらゆる所で「謝罪」が繰り返されてきている現状にある。その現状は何が発端となったのか、そして過ぎた謝罪は食い止めるべきなのか、著者自身の観点で取り上げている。

第1章「悪い謝罪、良い謝罪」
先ほども書いたように様々な所で謝罪は繰り返し行われている。特に今年に至っても、本人に非はあるにせよ、記者会見を開いて謝罪を行うようなことが度々ある。もちろんその謝罪会見についても「謝り方がなっていない」とは「何に謝っているのかわからない」といった謝罪に対する品評会みたいな様相を見せているのも事実としてある。

第2章「なぜ、日本で謝罪は儀式となったのか」
そもそもなぜ日本では「謝罪」が通過儀礼として扱われることになったのか、数ある謝罪会見や事件などを中心に分析を行っている。謝罪を通じて信頼を回復した事例もあれば、逆に損ねた事例、さらには謝罪しなくても時間をかけて沈めることができた事例もあったほどである。

第3章「謝罪空間インターネット」
インターネット上でもまた批判を行ったり、謝罪を行ったりすることがあるという。特に顕著なものとして今から8年前にあった南アフリカワールドカップの岡田武史に対する一連の批判について、悲観的な予測に反した活躍を見せて、ベスト16に輝いたことがある。その時に「岡ちゃんごめんね騒動」が起こったことが今もなお記憶に残っているほどである。

第4章「謝罪道」
謝罪一つにしても信頼を取り戻すか、かえって離れてしまうかによってしまう。謝罪をするにあたっての姿勢はどうあるべきか、さらには謝罪をするにはどのような言葉に気をつけたら良いのか、そのことにも言及している。

第5章「もう謝るな」
しかしながら謝罪をするばかりでは何も変わらないこともある。行き過ぎた謝罪はかえって自分自身を害してしまうこともあるため、過度に謝らず、適度に謝りながらも精神的に身軽に生きることをまた一つの方法であるとしている。

今日も至る所で謝罪する声や姿を見かける。もちろん謝罪すべきような時はそうすべきであるのだが、本当に謝罪するのかと首をかしげるようなことも少なくない。かつて「すいませんの国」で取り上げたように、何かと挨拶代わりに謝罪を多用するようなことも多々ある。そういった社会に対して独自に釘を刺しているのが本書とも言える。