小澤征爾 覇者の法則

世界的に成功した日本人指揮者は数多くいる。古くは齋藤秀雄や朝比奈隆がいたのだが、存命の日本人の中で最も世界的に活躍している指揮者は小澤征爾にほかならない。戦後から指揮者として名を馳せ、特に海外において傑出した才能を光らせて、世界的指揮者にのし上がった。その小澤征爾の生涯とそのルーツについて追っているのが本書である。

第一章「小澤家の遺伝子と育った環境」
小澤征爾の下の名前の「征爾」と言う名前には有名なエピソードがあり、元々満州の出身であった。その満州を作るための「満州事変」を起こした主要な人物として板垣征四郎と石原莞爾がいる。両名の一文字をとって名付けたのが由来である。父が歯科医師だったのだが、その道に進まず、アコーディオンやピアノを学んだことにより、音楽の道を歩み始めるのだが、その一方でラグビーにもハマっていたという。

第二章「生涯の師 齋藤秀雄」
音楽の道に進み始め、師事したのが本章にて紹介される齋藤秀雄である。斎藤は冒頭にも述べたように世界的指揮者である一方、チェリストでもあった。その後本書で紹介している小澤をはじめ山本直純、岩城宏之、秋山和慶など多くの音楽家・指揮者を育て上げた人物としても知られている。さらに指揮法にしても、今日のスタンダードの一つである「齋藤メソッド」を形成付け「指揮法教程」を上梓したことでも知られている。その齋藤秀雄との師事のなかでどのようなことがあったのかを紐解いている。

第三章「指揮者の卵」
指揮者の卵として齋藤秀雄のみならず、レナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤンの両名にも師事を受け、順風満帆の指揮者としてのキャリアを築いた一方で、ある事件を起こしてしまった。「N響事件」である。この事件をきっかけに小澤は渡米、長きにわたって日本では活躍せず、アメリカを含め海外を活躍の舞台とした。

第四章「栄光の舞台への軌跡」
特に小澤征爾はアメリカで大きな活躍を得て、世界的指揮者へとのし上がっていった。その多くは「シカゴ交響楽団」や「ボストン交響楽団」での活躍である。その活躍により欧州にまで活躍の幅を広げ、それからの活躍はメディアでも多く伝えられている。

小澤征爾は日本以上に海外で活躍していたこともあり、日本よりも海外(特にアメリカ)で有名担ったのかも知れない。しかし日本でも「世界的指揮者」として名を馳せたこともあり、日本でも同様の評価になったのだが、その背景には数々の辛酸があったことは本書を読むだけでも想像に難くない。現在82歳。体調面で不安はあるのだが、小澤征爾は今後どのような音楽を紡ぐのか、私たちは見てみたい。

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