忖度社会ニッポン

昨年の流行語大賞の一つ「忖度」がある。辞書で調べてみると、

「他人の心中をおしはかること。推察。」「広辞苑 第七版」より)

とある。昨年流行語大賞に選ばれた理由として森友・加計学園問題にて安倍晋三首相の意向を汲むという観点で選ばれたのかも知れない。大賞に選ばれ始めてからは「忖度」という言葉が使われ、媚びへつらいの言葉としても使われるようになった。またこの忖度が選ばれる前にも「KY」という言葉が流行語大賞に選ばれたように、日本の世間体を気にする、あるいは長いものには巻かれるようなことを是としている風潮を象徴づけているとも言える。本書は政治的な問題ではなく、日本の風潮としてなぜ「忖度」がまかり通っているのかを分析している。

第1章「忖度社会」
本賞ではその「忖度」が流行語となる大元となった「森友・家計学園問題」について分析をしている。連日メディアでも話題となっていたのだが、どこが問題だったのか、そしてなぜ「忖度」が生まれたのか、そして企業や公的機関における「忖度」の在り方についても取り上げている。

第2章「なぜ忖度するのか」
忖度をするにも理由がある。もちろん自己防衛や罪悪感や承認欲求を満たすなど、様々な要素があるのだが、もっとも忖度をする理由として日本人ならではの風潮がある。その龍については次章にて日本全体ではびこっているのかの分析と共に明かしている。

第3章「なぜ日本では忖度がはびこるのか」
忖度がはびこる理由は「KY」にも通ずるものがある。書評をし始めた頃に「空気」にまつわる研究本や新書を次々と読み、書評をしていたことがあるのだが、その書評の中でも「空気」という独裁者がいると批判したことがあった。忖度もまさに同じような状況がある。共通して言えるのには「同調」という圧力がある。本章ではそれを2つの事例と共に取り上げている。

第4章「なぜ忖度はなくならないのか」
日本人は協調性を重んじながらも、同調圧力をかけたり、かけられたりしている。もっともそれが空気を読むということにも求められる、なおかつそのことによって「世間」が作られているとも言える。その世間はどのようにつくられ、支配していくのか、忖度がなくならない理由と共に取り上げている。

第5章「対処法」
空気や世間、さらには忖度を重んじるようになった日本社会であるのだが、それは「察する」ことによって成り立つ。もちろん様々な変化があるのだが、その変化に気づく、それを気づくためには観察したり、分析したりする事によって対処できるという。

本書を読んでいくと、まるで10数年前のことの繰り返しのように思えてならない。その10数年前こそ冒頭にも述べたように「KY」が流行語大賞に選ばれた時代である。その選ばれたことによって「空気」という言葉が広がりを見せて、ある種の同調圧力が出てくるようになった。忖度が生まれたことによってそれが繰り返されており、日本は変化がないのではとも思いさえしてしまう。そのことについて本書を通して思ってしまった。