〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓

もはや「超高齢社会」と呼ぶに相応しいほどの時代になったのかもしれない。その時代の中で「孤立死」ならぬ「ひとり死」と呼ばれるような概念もでき、さらに言うと就活ならぬ「終活」も盛んに言われ始め、最近では「終活年賀状」なるものも出てきたほどである。「来年から出しません」と言ったものであるのだが、中には40代に出しておく人もいるのだという。

話を戻す。「超高齢社会」にともない、死に方・葬式・お墓の在り方も変化を見せ始めたのだという。その変化の本質とこれからについて取り上げたのが本書である。

第1章「何が起きているのか」
日本の人口は2008年をピークに右肩下がりとなりつつある。それだけでなく、逝去する方々も多くなり、葬儀場だけでなく、火葬場が足りなくなり、数日待ちになるようなケースも出ているのだという。また葬式の在り方についても、逝去してから通夜、告別式といった流れが一般的であるのだが、その流れも変わりつつあるという。

第2章「お葬式は、どうなるのか」
お葬式の在り方は日本の歴史では古代からあったのだが、宗教、そして時代と共に変化をしている。もっとも明治時代には「服忌令」なるものがあり、服喪の日数や忌日数も決められていた(数十日~数ヶ月ほどである)。また葬式の日取りについても「六曜」を意識した日に行い、家族が主体となっていたが、最近では葬儀社が主体となって行われるのが一般的になってきているという。

第3章「お墓は、どうなるのか」
墓というと墓石の中に荼毘があり、そこに亡くなった親族・先祖が眠っているとし、お彼岸や特別な日にはお参りするといったことがよく見られる。そのお墓の在り方も変わってきており、私自身も電車の広告で見たのだが、ある都市部では会館のような建物をつくり、そこの中にお墓を建てて、お参りできるような所もあるのだという。他にもお墓の代わりに「納骨堂」もでき、シンプルなものからハイテクなものに至るまで様々とある。

第4章「<ひとり死>時代で葬送はどこへ」
なぜ「ひとり死」が出てきているのか、本書の核心にあたる部分である。もっとも「孤立死」に似ている部分があり、家族が誰もおらず、親類縁者も全くいなくなり、完全な「孤独」のような状況に陥る人も出てきており、家族関係のない人が看取る、あるいは葬送などの手続きを行うといったことも少なからずある。そのような時代の中で誰が看取り、なおかつ逝去までの面倒を見てくれるのか、そのことを取り上げている。

第5章「誰に死後を託すのか」
そして逝去後のことについて、いわゆる「身辺整理」もまた逝去後に残された方々の課題としてある。「託す」といえば家族がいることによって自然とできるのだが、第4章でも取り上げたのだが、最近では完全な「孤立」状態となり、家族・親族もいないような人も少なくない。その中で「死後」を誰に託すのか、それも課題となってきている。

「ひとり死」はもはや「私には関係がない」とは言えないほどのものとなってきている。家族や親族がいたとしても、いつ「独りぼっち」になるのか分からない。こないのかもしれないし、いつの間にかやってくるかもしれない。その中でひとり死にたいしてどのようにして向き合うのか、国・地域のみならず、個人単位でも考える必要があると本書を読んでそう思った。

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