死者と先祖の話

かつて小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが「日本は死者の国」と述べたことがある。それは日本は生も死も地続きであり、なおかつ神様も死者も同じ場所に同居し、なおかつ祀られるといったことを表している。そのためか、死者にまつわる話については宗教の話で語られることはもちろん、日本では民俗学の中でも語られることがある。それは祭礼の所にも含まれるためでもある。

死者と先祖を民俗学の世界ではどのようにして考察していったのか、民俗学者の両巨頭の考察と共に分析をしている。

第一章「戦後と東北」
「東北」というとよく出てくるのが今から8年前に起こった「東日本大震災」である。その震災から復興は進みつつあるのだが、今もなお震災は終わっていないことが露呈されるようなこともある。その東北における「生と死」はどこにて考える事ができるのか、そして戦後から民俗学的な観点から「生と死」の在り方はどのように変化していったのか、そのことを取り上げている。

第二章「英霊と鎮魂」
戦争によって無くなられた人びと、いわゆる「戦死者」を英霊として祀るようなこともある。その英霊に対して、どのような習わしがあり、なおかつ民俗学的な仮説があったのかを述べている。もちろん「英霊」ということもあるため大東亜戦争をはじめとした戦争にまつわる話も含まれている。

第三章「供養と骨」
もっとも亡くなった人の骨を死者として供養することは日本独自と言うよりも、宗教の中ではけっこう見られる。その供養は骨だけでなく、「霊魂」といった形のないものもまた含まれている。その霊魂と骨、さらには供養に関する考え方について柳田仮説とともに取り上げている。

第四章「折口と柳田」
折口信夫と柳田国男、この2人は民俗学の両巨頭である。民俗学を知る私もこの2人の学者の仮説を読んだり、見聞きしたことがあり、よく知っている。その知っている中で、「祟り」や「死」といったものをどのように分析しているのかを取り上げている。

第五章「往生と看取り」
死を看取るといったことはここ最近ではなくなってきているのかもしれないのだが、変化はあれど、看取る文化は日本にはある。また長きにわたって生き、逝去するさまを「往生」「大往生」と言う方も少なくない。これもまた宗教から伝わる、日本独特のものであるのだが、その独特な要因とはどこにあるのかについて考察を行っている。

第六章「死と生」
日本の文化・民俗における「死と生」とは何か、民俗学や絵画からどのような文化が根付いているのか、そのことについて議論を行っている。

死者と先祖の話というと、冒頭でも述べたように日本では「文化」といった面で根強く残っている。その要因もまた文学・宗教・民俗と様々な観点から述べられるのかもしれない。本書はあくまで民俗学的な考察であったのだが、その面から見ても興味深い。

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