社をもたない神々

日本には「八百万」と呼ばれるほど、沢山の神がいることが信じられている。特に神道ではそのことが色濃く信じられ、それぞれの神が祀られる神社などの「杜(もり)」が点在している。しかしながら漫画「ノラガミ」の主人公である夜ト(やと)と同じように杜を持つことのない神もいるのだという。その神々たちはどのような神がいるのか、そしてどのようにして伝えられていったのか、そのことについて取り上げている。

第一章「歳神と田の神」
「神」にも様々な神々がいる。年や日などを表す「歳神」はもちろんのこと、田畑の豊穣を担う田の神もあるのだが、杜を持たない神もいる。その神々は杜がなくとも習慣や祭、さらには儀式によって顕現するような習わしでもって祀られるという。

第二章「原初に神体山あり」
神によっては杜をもたなくとも祀られることがある。習わしにしても、本章のように「山」にしても次章にでてくる「樹木」にしてもである。山にしても「神山」と言う概念もあれば、「山」を神社として見立てる「山神社」もあるという。

第三章「神宿る樹木とその森」
神道においての「神」は神社に限らず、どこにでも宿る。その中でも特に「樹木」は「神が宿る」と言ういわれは数多くある。もっとも地鎮祭や柱立て、さらには真榊など「木」にまつわる神具や祭もある。また、神社によっても多かれ少なかれ木々が生い茂っていることから樹木による信仰が表れている。

第四章「境を守る「塞の神」」
「境」というと県や市の境目があるのだが、そのほかにも人と、人ならざる者たちの住まいの「境」があるといえる。その「境」を守るための神として「塞(さい)の神」がいる。有名なところでは「茅の輪」がある。

第五章「地神・産神と産土神」
神を祀るためのことはお祭りのなかで行われることもある。中でも「地神」「産神」などがそれを担っている。その神々を祀るための祭はどのようなものがあるのかをケーススタディとして取り上げている。

「神」と言っても神道における八百万の神が全て「杜」を持っているわけではない。杜ではなく、木々などのシンボルとなるもの、さらには祭の中にて崇められ、祀られる神もいる。そのことを再認識した一冊であった。

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