人工知能時代を<善く生きる>技術

ソクラテスの意志のなかに「単に生きるのではなく、善く生きる」と言う言葉がある。それは自らの哲学(フィロソフィア)を持つだけでなく、青少年を堕落させた罪を着せられた裁判でも自身の信念を貫き通したことでも有名である。

その「善く生きる」ことを考える事は、正解のない「問い」を投げかけられているようである。しかし時代と共に解も考え方も変わってくる。とりわけ今のように人工知能(AI)が隆盛してくる時代となるとなおさらのことである。本書はそのような時代における「善く生きる」とは何なのか、著者の「解」を紐解いている。

第一章「運を支配するテクノロジー」
テクノロジーが運を支配することができることには驚きを隠せないのだが、実際にそういった「運」の要素もテクノロジーにて行われている部分がある。特にAmazonや楽天などでものを購入する際の「おすすめ」がそれにあたるという。

第二章「それでも、つながらずにはいられない」
AIに限らずSNSが出てきたときに「○○疲れ」と言ったものが出てきた。Facebookの時やLINEのときがそれが顕著に出ており、ニュースなどにもなったほどである。しかしながら「つながり」を渇望している人も少なくない。そのなかでつながりを周囲で外すという「村八分」が起こっているのだが、LINEでも「LINE外し」があり、その前には毛並みは異なれど「グーグル八分」なるものもあった。

第三章「人間と「あたらしい技術」は共存できるのか」
そもそも「あたらしい技術」をつくるのは人間であり、その人間がどのようにして生み出すかによって変わってくる。しかしながらAIが隆盛し、シンギュラリティ(特異日)が来てしまうと、その概念も崩れ去ってしまう。そのシンギュラリティが来る時代のなかで人間と技術の共存ができるのかを論じている。

第四章「<善く生きる>技術」
著者における「善く生きる」とはいったい何なのか、そこにはシステムや技術といった言葉が出てくる。本書のタイトルにはAI時代とあるため、技術と生きるためにはどうしたら良いかは欠かせないものである。また日常にあるシステムはもちろんのこと、システムのある「環境」をどのように考えるのかも盛り込まれている。

第五章「失うことで未来は開ける」
もの・ことを得るための犠牲として別なもの・ことを失うことは自然の摂理である。その「失う」の定義として「捨てる」や「整理する」といったこともまた方法としてある。本章では失うことについてマクロ的な考えで失うことで未来を切り拓けることを提言している。

AIの時代になることは本当にそうなるのかどうかは分からない。ただ、分かるのはAIがもっと日常生活の中に入っていくことは確かである。その時代のなかで私たち人間はどのように生きたら良いか、シンギュラリティの時代も絡めて考えておいた方が良い。

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