天才と発達障害

天才と呼ばれる方々の多くは、何かしらかのハンディやリスクなどを抱えている。もっともその中には端から見ると「精神異常」にも見えるような人もいた。少し話が変わるが、かねてから取り上げられた「発達障害」についても元々は病気ではなく、特徴として捉えられたという話もよく聞く。

もっとも障害と天才の2つの要素について関係ないように見えて、実は密接に関わっている。それは歴史上の人物からも証明づけられているという。

第一章「独創と多動のADHD」
天才と呼ばれたり、歴史的にも取り上げられる人物にもADHDと呼ばれる症状を持っている人もいたという。その人物としてもっとも知られているものではモーツァルトがその一人である。そもそもモーツァルトは天才であると同時に、狂人的な側面も持っており、映画や舞台でも取り上げられるほど有名である。その一方でADHDの面であまり知られていないのが野口英世である。

第二章「「空気が読めない」ASDの天才たち」
おそらく歴史上の人物の中で傾向が強いものとしては「空気が読めない」部類に入るような人たちである。そもそもそういった方々は「読めない」人もいるかもしれないが、もっとも「読まない」ほどこだわりを強く持っているとも言える。

第三章「創造の謎と「トリックスター」」
「「天才」と「狂気」は紙一重である」という言葉がよく似合うのかもしれない。その「狂気」が時として周囲からは「うつ」や「精神病」と評される原因にもなりうる。
本章では他にも作家と躁うつなどのうつ症状についての考察も行っている。

第四章「うつに愛された才能」
うつ症状に侵されながらも才能を見いだし、天才となり、歴史的にも有名になった人物は数多くいる。本章では夏目漱石から、ウィンストン・チャーチル、ヘミングウェイなどがいるのだが、本章では取り上げられていないが、二代目桂枝雀もまたその一人といってもいいかもしれない。

第五章「統合失調症の創造と破壊」
統合失調症という病気があるのだが、その病気から克服する人もいれば、その病気とつきあいながら、創作活動を行い、「天才」という名をほしいままにした人もいる。本章ではその方々を取り上げている。

第六章「誰が才能を殺すのか?」
社会は「出る杭を打つ」ような状況にあり、天才的な才能や考え方について不寛容である。とくに協調性どころか「同調性」を重んじてしまう日本人はその傾向が強い。もっとも日本人一人で才能を殺すのではなく、「空気」という風潮が殺しているとも言える。

「天才と狂気は紙一重」という言葉が本書を物語っているのかもしれない。世に出ている天才は今日でも親しまれているのだが、その反面、精神的な病に侵されながら創作を行ってきたという経緯があるのだが、その側面を知ることができる一冊である。