「自閉症」自体の症状はかねてからそのような傾向は存在しているが、学術的に初めて発見されたのは1933年にてアメリカの精神科医にて発見されたと言われている。もっとも自閉症という症状自体は長らく存在したのだが、それにフォーカスが当てられ始めたのは21世紀に入ってからのことである。その根拠としては書物で書かれている「量」にあると著者は指摘している。また自閉症にも21世紀の時代ならではの「傾向」があることも指摘している。本書ではその時代における傾向について取り上げている。
第一章「自閉文化とは何か」
そもそも「自閉症」とは何かというと、一般的には、
「幼児期早期に始まる精神発達障害。他人と交流や共感ができない、言語発達の遅れ、儀式的行動反復、順序や配列への固執などの発達障害がある。脳機能障害による」(「広辞苑 第七版」より抜粋)
とある。言語発達などの発達障害や脳機能障害を指しているのだが、その自閉症でもって歴史的に名の知れた人物もいる。本章ではその中から画家の伊藤若冲の作品や人物を取り上げながら自閉症における文化について考察を行っている。
第二章「空間」
ここ最近ではアニメや小説などでも自閉的な傾向があるのだという。キャラクターの中にはヘッドフォンをつける、あるいは首にかける人物も何人かおり、ヘッドフォンに込められたものについても音を聞くと言うよりも、外界からの音を遮断するというような意味合いが込められているという。
他にも童話や推理小説、さらにはあたかも日常的に取り上げているアニメなどでも閉鎖的な「空間」を描いているのもまた「自閉文化」に通じているという。
第三章「反復」
「同じ事の繰り返し」と言うことを表しているが、音楽においてはラヴェルの「ボレロ」や本章でも取り上げているサティの「ヴェクサシオン」がある。他にもこちらもまたアニメでも出てくる、同じような状況・場面の繰り返しといったシーンもいくつか見られている。
第四章「機械」
次は「機械」であるのだが、一般的のものとは異なり、本章では人間的な意味での「機械」を取り上げている。機械というと冷たい印象、あるいは無感情の印象を持たれるが、その無感情であり、なおかつ人間の「機械化」のもたらされる要素を取り上げている。
第五章「高精細・パラドクス・ゲーム」
自閉症の傾向にある方々の作品はかなり精細に描かれるか、奇抜な観点から描かれるなど、常人では到達し得ないようなところから描かれることが多い。またゲームやパズル、音楽や物語においても、自閉症の傾向としてどのようなものがあるかを取り上げている。
第六章「奇人たちの英国」
歴史的にも名を馳せた英国人の中にも「奇人」と呼ばれる人が数多くいた。本章では歴史的な人物を何人か取り上げているが、中には第一章から取り上げている人物もいる。
第七章「自閉症のアメリカ」
自閉症という症状を世界で初めて発見されたのはアメリカの精神科医であるレオ・カナーである。他にも同じく精神科医のハリー・スタック・サリヴァンもまた同じような傾向を発見している。またその後にはアスペルガー症候群の研究で知られ、同症状の語源となった、オーストリアの小児科医であるハンス・アスペルガーも同様に見つけ、報告を行っている。
本章ではその自閉症を発見したアメリカの事情について前章のイギリスと同じく歴史的な人物をもとに紹介しているが、本章ではアメリカとイギリスの違いも列挙している。
第八章「自閉症と近代」
「自閉症」自体生まれたのは冒頭でも書いたとおり1930~40年代と第二次世界大戦前の時である。しかしながらその傾向にある人は史料こそないものの、歴史的な人物を挙げていくだけでも同じ傾向になっている人も少なからずいることがよくわかる。本章では近代の作品から自閉症のような傾向にあった人物はいたかについて探っている。
第九章「primaryとprimitive」
辞書的に調べると前者は「一次」、後者は「原始的」とある。前者はいわゆるプロセスと言ったところでの一次・二次といった所における「一次」であり、後者はいわゆる幼稚な、あるいは文化が栄えていないような側面を表している。本章では特に後者については本当の意味での「原始時代」と呼ばれる側面と、自閉症の人が描く絵との共通点について考察を行っている。
第一章にて自閉症について辞書的に調べて行くと「発達障害」とある。これまで当ブログでも発達障害に関しての本はいくつか取り上げたことがあるのだが、それを当てはめてみると自閉症も単純な病気とは言わずに、むしろかねてからあった「傾向」を名付けているのではないか、そしてそれが時代に至ったのではないかとも思わず邪推してしまった。
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