元々著者は社会や経済についての本を取り上げることが多かったのだが、地理的な本を上梓するのは珍しい。本書は何かというと東京案内の一冊であるのだが、少し異なる点としては昭和や大正時代における名残を探すというものである。
第1章「北区 イギリス田園都市の発想は飛鳥山からだった!?」
京浜東北線、もしくは東京メトロ南北線の王子駅から歩いて5分の所に「飛鳥山公園」がある。桜の名所で知られているのだが、八代将軍徳川吉宗が桜の木を植えるように指示を出し、そして明治時代に入ってからは日本最初の公園の一つに指定された。イギリスの都市計画家が感銘を受け、イギリスの田園都市の参考にまでなったスポットである。飛鳥山公園に限らず、東京の王子は観光名所であり、グルメスポットで知られ、特に明治~昭和時代には顕著にあったのだという。
第2章「葛飾区 町工場と『綴方教室』」
長らく続いたマンガに「こちら葛飾区亀有公園前派出所」がある。そのマンガの中に主人公である両津勘吉の少年~青年時代にまつわるエピソードが描かれているのだが、その中には町工場の光景も映っている。ただここで描かれているのが両津の生まれ育ちが台東区であり、描写の中には江東区なども含まれている。とはいえ、先述の台東区・江東区もそうであったように、葛飾区を含めた周囲の下町には町工場があったという。
第3章「足立区 戦後アメリカの明るさを伝えるおもちゃとお菓子」
第2章で取り上げた「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のエピソードの中で私も印象に残っているのが「おばけ煙突」の話がある。少年誌としては珍しい甘酸っぱいエピソードで印象に残っていたが、この「おばけ煙突」は実在していた。それが足立区にある千住火力発電所であり、本章の冒頭にて写真にて映し出している。
本章では火力発電所だけで無く、おもちゃなどの工場として知られていたが、その姿を現したのは大東亜戦争に敗戦した後の事である。それまでは農村だった。
第4章「大田区 リゾートとしての開発と理想の工場建設」
大田区というと現在では羽田空港を始め、多くのスポットがあるのだが、その中でも高級住宅地である田園都市がいかにしてつくられたのか、そして戦前から高度経済成長期に存在していたテーマパーク「多摩川園」が存在していた。他にもテニスコートやサーキット場もあるほど、リゾート地としての大田区に成長するまでの姿があった。
第5章「荒川区 温泉と遊園地と光の球場」
東京には現在東京ドームと神宮球場といったプロ野球で行う球場があるのだが、かつては後楽園球場もあれば、さらに遡ると本章で紹介する「東京スタジアム」が存在した。この「東京スタジアム」は現在「荒川総合スポーツセンター」となっている。かつて東京スタジアムは大映オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の本拠地であり、ナイター試合になると照明が光り輝く、通称「光の球場」と呼ばれた。
第6章「板橋区 お殿様のテーマパーク・加賀藩下屋敷」
江戸には地方の藩の別荘と呼べる「屋敷」がいくつも存在した。もっとも政治的な要素で江戸幕府に取り入ろうとして大名をはじめとした家族が住むところとしてあったのだが、政務などの役割によって上屋敷・中屋敷・下屋敷といったカテゴライズがされていた。本章で紹介されるのは加賀藩下屋敷であるが、加賀藩の屋敷で言うと東大(本郷キャンパス)があったところに加賀藩上屋敷があるので有名であるが、下屋敷もテーマパークの要素があったという。
第7章「杉並区 田園に響いた銃声と軍靴の音」
東京都杉並区は日本軍の軍人たちが済むことが多かった。また将官や佐官などランクによって住む場所も異なってきたという。また二・二六事件においても教育総監の自宅が荻窪にあった。また日中戦争の長期化について話し合いを行った「荻窪会談」の舞台も、荻窪にある近衛文麿邸だった。
第8章「練馬区 豊かな自然に抱かれた芸術家の卵たち」
東京都練馬区は戦前は農村で有名であり、農地面積は23区の中でもっとも大きい敷地を持っていた。その農村から、戦後になって爆発的に人口は増えていき、開発も急速に進められた。住宅地も増えていった一方で、文豪や芸術家たちが住む場所としても知られるようになった。
第9章「豊島区、浦和、大宮ほか 芸術家村と郊外のコロニー」
芸術というと練馬区ばかりではない。豊島区や東京から離れるのだが、埼玉の浦和・大宮(いずれも現:さいたま市)なども存在している。特にアトリエなどが先述の場所には点在しており、また豊島区には、かつて映画撮影所があったという。
第10章「国立大学町 近江と多摩を結ぶドイツの田園都市」
一橋大学のある国立市では、トイツの田園都市を参考にした都市開発が行われたという。どのような都市開発が行われたのか、そのことについて取り上げている。
東京にも「歴史」がある。特に地理的な歴史は、日本そのものの歴史のなかで変わってきたものが多く存在しており、江戸情緒と言うよりも「東京情緒」とも呼ばれるような雰囲気さえ醸し出す。その名残が今もなお東京には残っており、それを見出してくれる一冊である。
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