誰が「知」を独占するのか―デジタルアーカイブ戦争

「アーカイブ」というと元々は図書館や博物館、美術館などの施設がそれぞれになってきたという。しかし最近では急速なデジタル化により、ネット上にアーカイブを持つことができるようになった。しかしそれが「デジタルアーカイブ戦争」という新たな戦争の火種となってしまった。

「デジタルアーカイブ」というと、図書館の情報なのだから私たちの生活とは何の関係もないのだろうと思いがちなのだが、実は活用によっては国益にかかわる機密情報にもなり、それの権利を巡った争いになってしまう。しかし日本ではそういったことに関してこれまで疎かったが、ようやく重い腰を上げた状況にある。

本書はそのデジタルアーカイブ戦争がどのようなものなのか、そして日本はどのように生き延びていけば良いのか、そのことについて取り上げている。

第1章「アーカイブでしのぎを削る欧米」
アーカイブを巡って鎬を削っている米英、その中でもGoogleやAmazonを基軸にアーカイブの奪い合いが上がっている。その戦いの口火を切ったのはフランスの元国立図書館館長のある本が出版されたところからである。それからGoogle・Amazon・Facebookなどを生み出したアメリカに対し、ヨーロッパ各国はそれぞれの手段を用いながら対抗しているという。

第2章「日本の大規模デジタル化プロジェクトたち」
日本は「デジタルアーカイブ戦争」に対して疎く、なおかつアーカイブそのものの保存でも脆弱であるという。その一例として国立国会図書館が「電子図書館」にするプロジェクトが行われ、デジタル化を行ったのだが、かつて年金でも「消えた年金」があったように、持ち主不明というような「消えた記録」が浮き彫りとなってしまった。しかも記録の中には「公文書」もあるのだという。

第3章「知のインフラ整備で何が変わるのか」
そもそもなぜ日本において「デジタルアーカイブ」が進んだのかというと、一つは2・3年ほど前から言われるようになった「ビッグデータ解析」が挙げられる。ネット上に流通する情報から様々な行動や動向を分析し、予測やマーケティングを行うというものである。
これは国だけではなく、民間でも検索や行動、買い物の購入の履歴をもって分析を行うというようなものもある。ほかにも公的な資産をデジタル化し「外部脳」として役立てられることができるという。

第4章「ヒト・カネ・著作権」
日本で「デジタルアーカイブ化」は進んでいるのだが、そこには3つの大きな壁が立ちはだかっている。それが本章のタイトルである「ヒト・カネ・著作権」である。アーカイブを増やすにも人員や予算が必要である。また情報によっては著作権があり、その権利者の許可がなければ公開することができない。しかもその権利者が亡くなってしまうと、その遺族や保護機関の許可を取りにいかないといけないし、なおかつ権利者が複数や団体間にまたがるとすべてに許可を取らなければならず、それが人員・予算に大きく取られるためである。またそれで許可を取ろうとしても「取引」を持ちかけられることが多く、使用料がかかるため、それでまた「予算」が使われる。

第5章「最大の障害「孤児作品」」
「孤児作品」は第2章で取り上げたアーカイブの「消えた記録」そのものである。この孤児作品こそ最大の課題であり、日本のみならず、世界中で頭を痛めている課題である。しかしフランスなどのヨーロッパ各国、そしてアメリカでは法案や指令などで孤児著作物をどうしていくのかを明文化し、一定の条件を満たしていればデジタル化してよいというガイドラインを立てている。日本では法案の整備が不十分であり、なおかつそのことについて国会で議論がされているのかというと疑わしい。

第6章「アーカイブ政策と日本を、どう変えて行くか」
本章ではこれまで取り上げたデジタルアーカイブの現状とともに、日本はどうするべきかについて、アーカイブを増やしたり、管理の明確化したり、さらには孤児作品の利用について、様々なパターンに分けて提案を行っている。

著作権のことで思い出したのだが、先日TPPが大筋で合意するに至ったという。TPPにて取り上げられた著作権について、著作権侵害の非親告罪化、そして著作権保護機関の延長が挙げられるのだが、ほかにもデジタルアーカイブに関しての変化があるのかもしれない。このTPPの合意により、デジタルアーカイブがどのように変化するのか注視するほかない。