私とは何か――「個人」から「分人」へ

戦後から「個人」が尊重されて久しい。しかし個人主義は時として利己的になり、他人のことを敬うことがなくなってしまい、身勝手な事件や事柄が往々にして起こっている。

他にも「個人」と言うことが問われるようになった時、「私の存在」といった自分自身を問答するようなものも多くなってきている。著者はその時代はだんだん変化し、やがて「分人」というものが出てくるのだという。本書は「個人」から「分人」にシフトしていく理由を置き明かすと共に、「私」の存在意義について迫っている。

第1章「「本当の自分」はどこにあるか」
「個人」と「分人」の違いについては第2章にて詳しく述べられるので、本章では「私」そのものの存在の変遷についてを取り上げている。昨今ではインターネットが隆盛したことにより別人格の「自分」を作り出すことができた。2ちゃんねるをはじめとした掲示板、ブログ、SNSなどで顔も名前も知られない「匿名」というものを使って、人格や性格をフレキシブルに変えられる「自分」を作る事ができるようになった。

第2章「分人とは何か」
第1章にて、フレキシブルに「自分」を変えられることが、「個人」では一緒くたに表されてしまう。そこで本章では自ら「分人」と称して、それぞれの人格を「分ける」事で「個人」を分割することを提唱している。

第3章「自分と他者を見つめ直す」
人にはそれぞれ悩みを持っている。その悩みは分人としての悩みもあれば、自分自身全体の悩みのものも存在する。その悩みは自分自身の心の中と言うよりも、それ以外のもの、つまりは「他者」によってもたらされているのだという。

第4章「愛すること・死ぬこと」
さらに哲学的なことに入っていく。本章は「愛」と「死」についてである。よく小説についても書かれるのだが、「愛」にしても、「死」にしても本質的な意味はなかなか難しい。哲学者や宗教などでも見解が分かれており、まだまだ答えを見いだせない分野であるのだが、本書はあくまで「小説家」としての観点から2つのことについて考察を行っている。

第5章「分断を超えて」
本章ではどちらかというと哲学よりも「遺伝」と言った所に言及しているので「生物学」の分野の事を言っている。

本書は「私」について、個人の観点、そして人格を分断した「分人」の観点から考察を行ってきたのだが、哲学書を読んでいるようで解き明かすのは難しい。しかし小説の題材として「私」という存在が気になったために、小説家として本書を執筆したのかも知れない。