2014年9月27日、御嶽山が噴火した。もっと言うとこの噴火により、火山噴火により戦後最悪の63人の尊い命が失われた。規模こそ小規模であり、噴火の兆候自体は見られなかった中での突然の噴火。しかも紅葉シーズンで登山日和の中おそった悲劇だった。本書は2016年にかかれたため「あれから2年」となっているが、もうすでに5年の月日が流れた。
本書はその5年前の噴火の一部始終と爪痕と教訓について取り上げているが、著者もまたその噴火を目の当たりにした一人として綴っている。
第一章「運命の一日」
御嶽山は過去に何度か噴火している。1979年・1991年・2007年とあるのだが、全て登山シーズンではない時に噴火があった。もちろん登山する人はおらず、被害もなかったのだが、今回の噴火はまさに登山シーズンのさなかだった。ちなみに予兆はなかったわけでなく噴火する2週間以上前に火山性地震が幾度となく起こった。しかしながら噴火レベルは予兆が発生する前と同じ1(平常)だった。噴火する少し前も1~2回ほどの異変があったのだが、登山客や関係者も気づかなかった。そのため多くの被害者が出てしまった。本章では登山客・関係者の証言をもとにこの日の噴火について生々しく語られている。
第二章「噴火の実態」
今回の噴火は予知できたのかというと、予知連と呼ばれる余地を行う団体でもできなかったと発表された。メディアはその予知連に対しての避難の嵐であったのだが、著者は、
「予知連藤井会長が本当のことを包み隠さず、発言して、傲慢な居直りのように受け取られて、避難されたという。水蒸気爆発は全長を捉えにくいというのが研究者の常識のようだ。私は率直に言ってくれたお蔭で、「予知できないんだ」と分かってよかったと思っている」(pp.90-91より)
と語っている。もっとも「予知」自体は100%当たるようなものではない。予知できるものもあれば、予知しきれないことだってある。地震予知もその一つであり、ここ最近起こっている地震自体、予知の範囲外のところで起こっているのだから。
第三章「噴火の爪痕」
噴火の爪痕は予想以上に大きいものであり、捜索も困難を極めたという。もっとも警察や消防、自衛隊が賢明に捜索に関わるのだが、慣れない山での捜索と、噴火への恐怖でテレビでも救助隊や機動隊の疲労が伝わってきたと著者はいう。
第四章「噴火の教訓」
噴火の教訓として様々とあるのだが、特に登山についてのマナーや考え方いついてを知らないと、噴火だけでない、登山事故に巻き込まれ、死に至るケースもある。安易な気持ちで登山に行かず、高かれ低かれ、また難易度の度合いがどうであれ、どのような事故・災害から身を守るための装備を身につけることも必要である。登山をするからでこそ、登山の「楽しさ」と、その反面の「怖さ」を持つことも必要である。
5年の月日が流れ、その後立て続けに災害が起こりあまり報道されなくなったのだが、御嶽山噴火は火山噴火の怖さと、山の怖さを再認識した出来事として忘れてはならない。そしてこれは火山噴火に限らず、さまざまな気象・災害についてもあるのだが、「予知には限界がある」ことを忘れてはならない。
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