テレビドラマを学問する

私自身最近テレビドラマは全く観なくなったのだが、学生の頃は気に入ったテレビドラマを視聴する事があった。最近全くドラマを観ない私でも昨年は「あまちゃん」や「半沢直樹」のフィーバーぶりはよく知っており、流行語が生まれるほどだった。現在も連続テレビ小説「マッサン」が話題を呼び、ウィスキーブームの様相を見せている。

テレビドラマはおろかテレビをあまり見ない私が本書を取り上げるのもどうかと思うかもしれないが、不思議にテレビドラマがどのように人気があり、変遷していったのかに興味を持ってしまい、本書を手に取った。

第1章「テレビドラマを学問する」
そもそも「テレビドラマ」を「学問」するということが、私の興味を引かせた。もっとも以前にも「アニメ」を「学問」するような本も取り上げたことがあり、他にも学問しないような所を「学問」するような本を様々取り上げたことがある私なので、興味を引かないわけにはいかないというのもある。
私事はココマデにしておいて、そもそも本章のタイトルは何を意味しているのだろうか。その理由には時代によって変わること、そしてこれまでは社会心理学など他の学問とリンクして語られたのだが、ドラマそのものを学問することがなかったことにある。

第2章「フィクション世界の研究」
「このドラマはフィクションです」とテロップが出ることがほとんどである(ドラマによっては実在した事がドラマ化される事もある)。そもそもフィクションをどのように研究するのかというと、小説の研究、いわゆる文芸研究・文学研究の類がある。しかしテレビドラマと文学、その両方はフィクションがあるという共通点があるのだが、相違点はどこにあるのかを本章では論じている。

第3章「現代テレビドラマの担い手たち」
本章で取り上げられる脚本が2人いる。1人は野島伸司であり、社会的なドラマのヒット作を次々と出し、話題となった。挙げるだけでも1991年の「101回目のプロポーズ」をはじめ、1992年の「愛という名のもとに」、1993年の「高校教師」、1994年の「家なき子」が挙げられる。また最近では問題作となった「明日、ママがいない」がある。そしてもう1人には岡田惠和があり「ビーチ・ボーイズ」(1997年)や「アルジャーノンに花束を」(2002年)が挙げられる。その2人の脚本のスタイルは全くといっても良いほど異なるため、それぞれ取り上げながら脚本家の仕事とは何かを深掘りしている。

第4章「テレビドラマの歴史(1)」
日本で初めてテレビドラマが放映されたのは、調べて見ると戦前に当たる1940年の「夕餉前(ゆうげまえ)」である。このドラマは「実験放送」として放映されたホームドラマであった。その時はテレビはNHK東京放送会館、及び愛宕山の旧演奏所(現在のNHK放送博物館)にある常設テレビ観覧所の受像機など限られた場所でしか観ることができなかった。
そして大東亜戦争を経て1956年よりアメリカから来た輸入番組が観られるようになり、国産のテレビドラマも同年の「どたんば」から始まった。そしてその創生期の代表作としてあげられるのが1958年の「私は貝になりたい」である。

第5章「テレビドラマの歴史(2)」
テレビドラマが広がりを見せてからヒットドラマが次々と生み出され視聴率も50%や60%を記録する作品も続々と出てきた。しかし時代はテレビ中心からシフトされ、だんだんテレビ依存が弱まりだした時「群像劇」という形のドラマができる様になった。その代表格として「ふぞろいの林檎たち」(1983・1985・1991・1997年の4期放送)や「金曜日の妻たちへ」(1983・1984・1985年の3期放送)が挙げられる。

第6章「「韓流」とは何か」
最近では鳴りを潜めているが、今から10年前は「韓流ブーム」と呼ばれる時期だった。その発端となったのは2004年に日本で放映された「冬のソナタ」である。元々は韓国国内で2002年に放送されたが、そこそこのヒットだったものの、日本で放送されてから人気作となったという。それからというもの韓流ドラマが次々と出されたのだが、その余蘊として物語のある感情の「濃さ」があるのではという指摘がある。

第7章「テレビドラマの現在と未来」
テレビドラマは今日の社会事情とリンクする部分も多くなってきている。例えば2005年に放映された「電車男」もあれば、結婚の在り方が問われた2010年には「流れ星」が放送された。また現代の課題を浮き彫りにする作品としても2011年の「家政婦のミタ」や先程も取り上げた「明日、ママがいない」も挙げられる。しかし時代と共に気づくところがあるのは、話数そのものが「短くなる」傾向にあるのだという。

テレビドラマは衰退しているといわれると否めないところもあるのだが、最初にも取り上げたようにヒット作が今でも生み出され続けていることから、まだまだなくならないとも言える。その中でテレビドラマが、テレビ離れが続く中でいかにして変化していくのか、それは定かではない。