指揮者の役割―ヨーロッパ三大オーケストラ物語―

オーケストラにおける指揮者は、演奏はしないものの、演奏者と演奏を統率する役割を持つ。そのため指揮者に要求されるものは音楽性のみならず、曲そのものの解釈をどうするのか、という判断力や分析力も問われるので、演奏者以上に気を遣う役割とも言える。本書は指揮者の役割について世界でも名だたる管弦楽団を3つ紹介している。

第一章「指揮者なんて要らない?―ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」
「音楽の都」と呼ばれるオーストリア・ウィーンで、オーストリア国内のみならず、世界中のクラシックファンの心を酔わせる「ウィーン・フィル」、そのウィーン・フィルの指揮を行った人物に著名なものとしてカール・ベームが筆頭としてあげられる。他にもヘルベルト・フォン・カラヤンは若かりし頃、そして晩年にかかわり、戦前にはヴィルヘルム・フルトヴェングラーがタクトをふるった。
しかしウィーン・フィルは、元々楽団員の演奏レベルも高いことか、それとも風土の関係か不明なのだが、「練習嫌い」と呼ばれていたり、さらには「指揮者不要でも演奏できる」と呼ばれていたりしていた。もっと言うと気に入らない指揮者には牙をむく傾向にあったため、ウィーン・フィルには「首席指揮者」を置いていない傾向にあった。

第二章「カラヤンという時代―ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」
本章で紹介されるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は戦後間もない1955年から34年もの間終身指揮者・芸術監督として勤め上げたヘルベルト・フォン・カラヤンがいた。現在でもカラヤン指揮・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で様々な曲を、CDを通じて広く親しまれているため、今もなお「楽壇の帝王」という異名が通っている。他にもヴィルヘルム・フルトヴェングラーが戦前・戦後と活躍し、カラヤン亡き後はクラウディオ・アバドが勤め、現在はサイモン・ラトルが首席指揮者を務めている。本書は専らカラヤンの話題に終始するのかと思ったら、カラヤンの前任であるフルトヴェングラーとの比較も行っている。

第三章「オーケストラが担う一国の文化―ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団・アムステルダム」
オランダ・アムステルダムを本拠地に置く「ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団」は本書で取り上げる3楽壇の中では人気は劣るものの、世界的に最も活躍する管弦楽団の一つである事には変わりない。オーストリアやドイツとは異なり、オランダで育まれた独自の音楽解釈が人気を呼んでいる。ただ本書がなぜ取り上げられているのか、その理由の一つとして「後継者問題」があったことにある。そのきっかけが1959年、戦後間もない時から首席指揮者として支えてきたエドゥアルト・ファン・ベイヌムの死だった。その後オランダ人の指揮者を選ぶという不文律に従って新しくベルナルト・ハイティンクを迎え入れられたが経験不足や若いという批判を受けてオイゲン・ヨッフムを据えると言った首席指揮者の双頭体制が組まれたからにある。それがなぜ組まれることになったのか、本章でも言及している。

元々私はクラシック音楽を聞くことが趣味である。時には同じ曲でも指揮者の異なる演奏を聴いて比べてみると言うこともあるのだが、いずれも曲解釈が異なるのだから面白い。そもそも名だたる管弦楽団が指揮者に対してどのように接してきたのか、それぞれ異なっているのが良く分かり、なおかつ楽壇の風土も理解できる一冊と言える。