ことばが消えたワケ ─時代を読み解く俗語の世界

日本語は絶えず変化する。そのため私自身は「正しい日本語」を信用することができない。私事はさておき、日本語に限らず、ことばは時代とともに変化を遂げていく。それだけでなく、流行語として扱われ、いつしかそれが「死語」となることさえもある。その「死語」こそ、本書のタイトルである「ことばが消えた」と呼ばれるようになったのかもしれない。そのことばが消えたのはどのような理由があるのだろうか、そのことを論じている。

第1章「「スワルトバードル」―外国語もどきが消えたワケ」
直訳すると「袴」であるのだが、その言葉をオランダ語に重ねてつくられたのが「スワルトバードル」といわれる。これは明治時代につくられた言葉であるのだが、それ以前にも「マーストカートル(蚊取り器)」「スポントワースル(記憶の悪い人)」など江戸時代からオランダ語もどきとして使われた経緯もあった。

第2章「「テクシー」―もじりが消えたワケ」
下手な医者のことを「ヤブ医者」といわれているのだが、元々の書き方は「藪医者」と書き、藪は「野巫」をもじったものであり、

「医術のつたない医者」「広辞苑第七版」より)

とある。しかし江戸時代にはもじりとして「たけのこ」があった。「藪」よりも成長しておらず、未熟を表している。ちなみに本章のタイトルである「テクシー」はタクシーのもじりであり、徒歩を表しており、大正~昭和にて使われていた。

第3章「「江川る」―「る」ことばが消えたワケ」
かつて放送されていた「魔法少女まどか☆マギカ」において巴マミが殺されてしまうさまを「マミる」とネットで呼ばれることがある。現代的な言葉かと思いきや、実を言うと江戸時代から「~る」ということばは使われていた。もっとも本章のタイトルである「江川る」は江川卓の「空白の一日」を引き合いに出している。

第4章「「エンゲルスガール」―流行語が消えたワケ」
毎年のように流行語は生まれる。今年になって生まれた言葉として「そだねー」や「半端ない」とある。もちろんあと4ヶ月ほどでまた流行語が生まれるかも知れない。その流行語は時代の在り方そのものである。その時代が過ぎると死語となり消えていく。

第5章「「メッチェン」―若者ことばが消えたワケ」
若者ことばはちょくちょく「日本語の乱れ」の一つとして槍玉に挙げられる。そもそも若者ことばはいつから誕生したのかというと、戦前の頃からである。「メッチェン」もその一つであり、ドイツ語における「女の子」を表している。

第6章「「冷コー」―老人語が消えたワケ」
大阪の方々の内、高齢者でよく使われるのが「冷(レイ)コー」、つまりは「アイスコーヒー」のことである。老人でも独自の「ことば」があり、第5章で使われた「若者ことば」に

も通じている部分がある。
第7章「「電気会社の社長」―隠語が消えたワケ」
隠語は今も昔も存在している。それはあくまで「喩え」に近く、なおかつ言えない内情をある種の用語として扱われるようにしているのがこの「隠語」である。その隠語にも歴史狩り、消えた隠語も存在すると言う。本章のタイトルもその一つであり、はげ頭を表している。

第8章「「馬の爪」―業界用語が消えたワケ」
業界用語は会社の組織内だけで通すようなことばであり、日常的なことにもある種の「暗号」や「用語」として使われることがある。もちろん用語もまた変わってきており、警察用語として寝込んでいる所に侵入し、金銭を盗む泥棒を表していることばもいつしか使われなくなった。

第9章「「人三化七」―卑罵表現が消えたワケ」
本章のタイトルにある四字熟語は「にんさんばけしち」と読み、

「(人間が3分で化物が7分の意)容貌がきわめて醜い人。多く、女性について侮蔑していう語」「広辞苑 第七版」より)

と表しており、簡単に言えば「ブス」といえばすぐに済むことである。もっともこの四字熟語は明治時代にて言われていたことであるという。

第10章「「ヘビーをかける」―外来語慣用句が消えたワケ」
本章のことばも今となっては使われないのだが、明治時代において、「全力」として「ヘビー」と使っていた。学生ボートレースから出たことばであるのだが、ヘビーは英語における「Heavy」を表しているのは言うまでもない。他にも外国語からカタカナ語として取りれられたことばも少なくない。

第11章「「隠し」―一般語が消えたワケ」
ことばにも「新しい」「古い」があり、一般的なことばにも存在する。今で言う所の「ポケット」を表す「隠し」、さようならを表す「さらば」なども挙げられる。

第12章「「異人」―明治現代語が消えたワケ」
赤い靴という歌に少女が連れ去った人として「異人」とあるのだが、とどのつまり「外国人」を表している。ことば自体は18世紀から使われたのだが、明治時代に賭けて広く使われたほどである。また観光名所にも「異人館(有名どころで神戸に存在する)」があるため、完全に消えたわけではない。

ことばにも歴史があり、生まれてくるものもあれば廃れるものもある。その廃れるが「消える」にあたるのだが、それは「時代」「歴史」の産物であり、なおかつ、その背景を知ることができる。かつて使われた「ことば」にもその名残が数多く存在していると言える。

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