自殺の歴史社会学―「意志」のゆくえ

3月は自殺対策強化月間である。日本では今もなお毎年3万人もの人が自殺する。その自殺の要因として様々なものがあるのだが、様々な角度から「厭世(世の中を嫌がる、絶望する)」を思ってしまい、自殺するような傾向も少なくない。少し物騒かもしれないのだが、本書はその自殺はどのような歴史を辿ってきたのか、20世紀から現代に至るまで、どのような理由にて自殺したのかを紐解いている。

第1章「自殺を意志する―二十世紀における厭世自殺」
そもそも自殺をする要因は様々であるのだが、大東亜戦争前は「厭世自殺」と呼ばれるものが多かったのだという。なぜ厭世をするのか、そしてその厭世自殺はどのように報じられていったのかを取り上げている。

第2章「自殺を贈与する―高度成長期以後の生命保険に関わる自殺」
戦後を迎え、高度経済成長期に入ってくると自殺の傾向も変わってきているという。その一つとして「贈与」の自殺がある。「贈与」と考えると違和感をもたれるかもしれないのだが、「贈与」の中には「保険金」と言ったものがあるのだという。

第3章「自殺を補償する―二十一世紀転換期の過労自殺訴訟」
さらに21世紀に入ってくると「過労自殺」といった言葉が増えてきている。それに対しての訴訟と言ったニュースも出てきており、さらには「ブラック企業」なる言葉も生まれてきた。一生懸命に働いても全くといっても良いほど報われない、報われないだけであればよいのだが逆の「仕打ち」を受けてしまうと言ったことが自殺の引き金にもなっているという。

第4章「自殺を予見する―現代のいじめ自殺訴訟と子ども・教育」
高度経済成長期あたりから長らく社会問題として取り上げられているのが「いじめ自殺」である。私の記憶の中では90年代半ばの頃にさまざまな「いじめ」問題が出てきたことはよく覚えている。しかしながら2000年代に入ると「いじめ」の内容も変容していき、いじめ自殺訴訟もまた変化している。

第5章「自殺に対応する―さまざまな現場、無意識の協働」
もちろん自殺の対策は行っている。啓発のポスターはもちろんのこと、現場単位で呼びかけを行うなど、官民問わずに対策を進めている。

もっとも自殺自体は今も昔も存在する。しかしながら今となっては「生きづらい」と呼ばれるほどの世の中であり、その世界に絶望し、自ら命を絶つといったことも今もなお起こっている。それを対策する動きはあるのだが、その「傾向と対策」としての一冊が本書にあるのかもしれない。