総中流の始まり 団地と生活時間の戦後史

日本が高度経済成長期の時によく言われた言葉として「一億総中流」という言葉が多く取り上げられた。具体的にいつ頃からできたかというと、1965年とあるため、今から55年前のことである。それから完全に定着したのが70年代にかけてとも言われている。

やがてバブルが崩壊し、「失われた10年ないし20年」となった時に、「格差」と言う言葉が生まれ、やがては「下流」という言葉も生まれるようになった。ところが先日のニュース「給与伸びないのに「日本人の生活満足度」が上がる理由」の記事では、

「野村総研が実施する「生活者1万人アンケート調査」では、(中略)『上か中の上』と答えた人の割合が06年の8.4%を底に徐々に増え、18年は20.0%に増加。『中の中』も06年の49.7%が底で、18年は54.6%になった」という。」上記の記事より抜粋)

とある。金銭的には下流にありながら、生活満足度では中の上といった感覚が多くなったとされている。これを新しい潮流とみるべきか、批判的に見るべきかは論者によるため、ここでは取り上げない。

話が長くなったが本書の話に移る。本書はそもそも「一億総中流」がどのようにして生まれたのか、その当時の生活背景とともに考察を行っている。

第1章「普通の時間の過ごし方の成立とその変容――高度経済成長期の団地生活での一日のあり方」
高度経済成長期の時に統計を取った団地での生活の統計を取り上げている。出典として「団地居住者生活実態調査」といったデータを中心にしている。この資料は神奈川県が6つの団地を対象にした調査であり、普段の生活時間や就労・家事などのをデータ分析している。

第2章「団地での母親の子育て」
「子育て」とひとえに言っても多岐にわたる。本章では文字通りの子育てから、主婦としての生活、さらには母親同士との関わりなどを取り上げている。

第3章「団地のなかの子どもの生活時間」
「子どもの生活」は技術と共に変わってきた。かつては外で遊ぶことが主流となったのだが、高度経済成長期にかけてはテレビや学習塾などができはじめ、テレビを見たり、塾に行く、あるいは習い事をするといった子どもも増え始めたのもこの時期である。

第4章「団地のなかのテレビと「家族談笑」」
今となっては共働きなど、家族における動きも変わってきており、子どもが一人で晩ご飯を食べるといったこともあるという。しかし高度経済成長期において家族の談笑があったのだが、「サザエさん」の家族団らんの姿が容易に想像つく。

第5章「団地と「総中流」社会――一九六〇年代の団地の意味」
団地もまた「社会」の一つとされる。その中で統計的に取り上げて行くにつれて、「一億総中流」の背景が見えてくるのだという。

かつてあった一億総中流は統計的にも出ていることがよく分かる。しかしもともと「上流」か「中流」か「下流」かについては本人の感触にも関わってくるため、ひとえに金銭の流通だけでは測ることができない側面もある。そのことを考えると、感覚も兼ねて生活面で考察を行いながら実証しているとも見て取れる。