シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン 歴史・陰謀・労働・疎外

元々著者は「物語消費論」を1989年5月に上梓した。その前後からサブカルチャーや消費論を取り上げて、論壇でのし上がってきた。もっとも「物語消費論」は1989年を皮切りに「定本 物語消費論」(2001年)「物語消費論改」(2012年)「物語消費論」の変化を論じてきた。

そして本書である。庵野秀明を対抗してかどうかは不明だが「シン」とつけて、現在における「物語消費論」はどのように変化していったのかを取り上げているのが本書である。

ノート1「物語陰謀論」

もっとも「物語消費」のあり方は様々であり、当初はビックリマンシールやシルバニアファミリーなどの商品の消費があたかも世界観や物語によって成り立つと論じてきた。あれから30年以上経ち、どう変わったのか、そのことについて取り上げている。

ノート2「物語生成論」

「物語」とひとえに言っても、映画や小説の描写などで人を惹きつけるものもあれば、商品を購入して、どのような体験を描くかもまた「物語」として成り立つ。しかし物語はいかにして構成していくかは一元的に語ることは非常に難しい。本章ではあえてどのように生成されていくのかを論じている。

ノート3「物語労働論」

「物語」をつくる、あるいは触れるというところに「労働」があるという。その労働はどのように行われているんか、また「労働」には「対価」があるのだが、どのような対価が支払われるのかもある。本章では「労働」をネガティブな観点としてとらえながら、物語と「労働問題」を紐付けて論じている。

ノート4「物語隷属論」

モノが豊かになり、食べものも昨今では「食糧問題」はあれど「飽食」となって久しい。では私たちはどこに消費していくかというと、「コンテンツ」と呼ばれるものになる。そこには「物語」があり、それにたいして消費を行うようになった。その「物語」に隷属しているのではないかと著者は指摘している。

今ほど物語に対して重要視される時代はないのかもしれない。それはマンガ・アニメ・映画・ドラマ・小説などのものもあれば、ここ最近では商品のマーケティングのなかでも物語が多用される。物語が次々と生まれ、労働し、消費されていく姿に著者はどのように映ったのかがよくわかる一冊である。