シリーズ「追憶~3.11、あれから10年~」―第3日「灯火~震災の絶望から立ち上がるための、復興の『光』~」

暗いニュースが報じられ続けてきましたが、復旧が行われ、やがて復興への道を進むことになりました。

「6枚の壁新聞 石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録」にあるように、震災の悲しみの中で被災地では、インフラがことごとく地震や津波によって軒並み不通になり、情報を得ることもままならない状態でした。宮城県石巻市では、地元の「石巻日日新聞」が震災直後7日間、壁掛けで新しいニュースを避難所やコンビニに貼りだしたエピソードがあります。しかも手書きのニュースであるため、何が何でも発信し続けたいという「メディア」というインフラの矜持がここにありました。

この矜持が復興への足がかりとして伝播していきます。同じ石巻が舞台である「奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」」では、復興のためにゴールデンウィークでは、およそ5万人もの人がボランティアに駆けつけると行ったこともありました。この石巻モデルがきっかけとなったかどうかは定かではありませんが、被災地各地では多くのボランティアが集うこととなりました。

モデルは石巻だけではありません。「人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか」にもあるように、様々な所で支援のプロジェクトをつくり、復興を促進させた「ふんばろう東日本支援プロジェクト」もありました。

経営の側でも「復興」と言う言葉が出てきました。「蘇るサバ缶 震災と希望と人情商店街」では、先に取り上げた石巻市にある缶詰工場にて、被災はしたものの、奇跡的に残った缶詰を販売し、復興支援につなげたエピソードもあります。また他にも「走れ!移動図書館~本でよりそう復興支援」のように公共図書館が様々な場所へ移動を行い、本を通して、心の復興を進めるといった動きもありました。

多くの支えや助けによって、失われた街を取り戻すために動き、そして復興への灯火があちこちで灯ることとなりました。

やがて元の状態に戻り始めてきたとき、この震災から学ぶ教訓も次々と出てきました。それはまた明日にて取り上げます。