BODY SHARING 身体の制約なき未来

本書のタイトルを見るに、社会現象になったとあるアニメ映画を連想してしまう。しかしその映画はあくまで身体が入れ替わることを意味しているのみである。

それはさておき、入れ替わりを含めた「共有」は何も記事や動画といったものばかりではなく、身体的な「共有」の時代がやってくるとしている。その一つに「メタバース」の概念もある。本書は技術や概念の革新から身体的な感覚などを「共有」する文化はどのように栄えるのかを紐解いている。

第1章「感覚伝達とインターフェース ——新しいメディアの創造」

ここ最近では感覚伝達における研究も進んでおり、ロボットから、コンピューティングの共有に至るまでの事を現在進められている範囲の中で取り上げている。特にメタバースによって身体・感覚もまたバーチャルの舞台で体感するとなると、リアル・バーチャルの垣根も少なくなり、区別できなくなるという。

第2章「BodySharing ——体験を入出力する未来のデヴァイス」

身体感覚を共有するようにもあるが、他にも「実体験」を自らアウトプットし、そして知らない人にインプットを行う研究もある。本書のタイトルにある「BodySharing」はその感覚の共有を表しているのだが、そもそもその共有はどのように行われるのかを取り上げている。

第3章「サイバーとフィジカルが融合する世界」

BodySharingが発展することによって、交わることの無い「サイバー」と人間にある「フィジカル」が融合する世界が見いだされるという。その融合は「労働」から解放され、なおかつ都市構造や生活様式も変える可能性を秘めている。

第4章「変容する脳と身体——ポストヒューマンへの解放」

BodySharingは人間もとい動物における脳や身体への変化も出てくる。倫理的なタブーとされてきた「クローン」の研究についても、コンピューティングの立場において可能になり、なおかつ動物のロボットも出てくる。あるいは人間が動物にある感覚を共有するようなこともあるという。

第5章「溶け合う心と知の変容——データ駆動社会における能動的誤配と自由意志」

「心」と「知」がサーバー上で共有することにより、自身の持っているそれぞれのものが、データとなって共有されるようになる。もちろん人間には多様性があるのだが、その「多様性」自体もまた一つのデータとなって融合される時代・社会があることを本章にて主張している。

第6章「未来を創造する——2050年自己複製化[マルチスレッド]と死の克服」

メタバースという概念が生まれ、企業では続々と研究開発が行われてきている。メタバースの先にどのような未来が待っているのか、本章では2050年までの青地図を描いている。

技術や概念の革新は目覚ましい。しかしその革新が未来にどのような影響を及ぼすのかは誰にもわからない。少し先の未来でも、何が使われていくのかというのもわからず、なおかつ技術的なものとして「シンギュラリティ」もあるのではという意見もある。誰にもわからない未来の中で見いだす可能性の一つとして本書も頭に入れておくべきではないだろうか。

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