新・戦争論

巷では憲法を語られる度に戦争のことを引き合いに出す。引き合いに出すということはほとんど戦争の恐ろしさと非戦・反戦運動が多いイメージがある。確かに日本は63年前敗戦を喫してしまいその後、多くの人がなくなってしまった悲劇、原爆の悲劇、沖縄戦の悲しみを引き合いに出されることが多い。

しかも今の世の中は「戦争=悪」と片付けられてしまう風潮にある。

しかし本当に「戦争=悪」なのか。確かに戦争によって多くの民が傷つき、死に絶えてしまう。失った人たちは深い悲しみに包まれやがて平和を訴える。しかし今の平和の状態はいつまで続くのか分からない。日本は「たまたま」60年以上平和であったが、いつ北朝鮮や中国と戦争になってもおかしくない状況に立つことが何度かあった。

では本当の「戦争」というのは何なのかというのが本書の大きな役割である。戦争というのは最大ともいうべき混沌の状態にあり、その混沌の中に人々の犠牲により技術革新が目覚ましく成長するのである。中でもコンピュータやインターネットの誕生は戦争によるものによってできたともいわれている。

しかし武器を使っての交戦だけが戦争ではないのはご存じだろうか。大東亜戦争が終わって5年後の1950年に朝鮮戦争があった。その3年後には休戦協定が締結され一応戦争は収束した…が、これはあくまで「休戦協定」であるので休戦状態、終戦は迎えておらず58年たった今でも戦争中ということである。

さらにそれとヤルタ会談の内容を機に米ソ間の冷戦がはじまった。いわば武力との交戦のない戦争である。その中でビキニ島での核実験など多くの国々で核実験が行われ緊張感が最高潮まで達することが度々あった。

さらに平和という概念も本書で語られているが、私なりの「平和」については平穏であることではない。故黒岩重吾があるコラムにて平和とは国間の緊張感が維持し続けていることを語っている。

60年以上たった今だからでこそ、平和について語るべきだが同時に戦争の意義についての再認識も行うべきではなかろうか。