日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く

前回の「日本二千六百年史」に続いて今度は大川周明に関する研究本を紹介。現在作家の佐藤優氏が大川周明ルネッサンスということで上記の「「戦後二千六百年史」を読み解く」をシリーズで行っている。本書はその前のやつの「米英東亜侵略史」を読み解いた一冊である。ちなみにこの「米英東亜侵略史」は開戦直後の1941年12月に、大川周明によるNHKラジオの連続講演が行われ、それを速記し1冊にまとめられ、上梓された。内容は本書を見てもらえばわかるが、国家高揚のため鬼畜米英がどのようなことをやったのか、そしてこの大東亜戦争の大義とはということに尽きる。ちなみにこれが原因となり民間人で唯一A級戦犯として起訴されたのはもうすでにいくつかの文献でも説明しているとおりである。

第1・3部が大川周明が書かれた「米国東亜侵略史」各部6日間に分けて書かれている。ちなみによりわかりやすく読めるように佐藤氏の解説が入っている。流れで言うと第1部はなんとペリーが浦賀沖に来航した時からアメリカの東亜侵略のこと、そしてアメリカが企んでいる東亜侵略の全貌について、第3部は戦争の大義について、実際の利益と東亜の桎梏の解放ための戦争と戦争の大義を放送で演説をした。とりわけ3部で多く取り上げられていたのはインドについてである。特にインドのチャンドラー・ボースらをイギリスへの送致を匿うことでより回避させ、そして独立運動に全面協力したことによるだろう。

そしてそれが大東亜会議を開くにあたっての構想の1つにもなっている。すべては国家高揚のため、そして東亜の独立・共栄のための戦争、最後に三国一個と書かれているが日独伊ではなく、日中印の秩序のための戦争なのだということを国民に伝えている。しかし結局アメリカやイギリスは中国(国民党と共産党)に肩入れし、その構想はもろくも破綻してしまった。そして敗戦後は中国は事あるごとに戦争責任を持ちだすような国になってしまった。

漁夫の利による共産党一党独裁となり中国国民の格差は増大し、さらにチベット・ウイグル等への民族浄化による大虐殺まで行っている有様である。それとは違いインドは敗戦後は独立し世界最大の民主主義国家となった。そしてその恩恵がパール判決となり、日印間友好の大きな助力となっていることは大東亜戦争は敗戦したが無意味ではなかった大きな証である。そして欧米列強(特に白人支配)への打撃により多くの非植民地国に勇気をもたらしたということでの大東亜戦争の意味合いは非常に大きい。

さて第2・4章では佐藤氏の解説であるが第2部はアメリカの対日戦略とアメリカ、ソ連による大川周明の評価について書かれている。大川周明は「東亜の論客」とも「西欧が恐れる知の巨人」とも言われているだけある。それと同時にA級戦犯として起訴したという思惑もよくわかる。しかしちょっと疑問だったのは「侵略史」の最初の部分では侵略の代表人物の1人とも言えるペリーがなぜ評価されたのかである。「侵略史」のなかではなんとこう書かれていた。

「彼(ペリー)の識見、注意の周到などによって判断すれば、疑いもなく彼は当時アメリカだ一党の人物であります。(中略)ペリーはこの航海の途上において、欧羅巴諸国の植民地に寄港したのでありますが、丹念にその植民地政策を研究し、その非人道的なる点を指摘して、手酷き攻撃を加えております。」(p.27より抜粋)

ペリーは確かに日本に開国をせまるように要求した張本人ではあるがその一方で植民地政策を研究し、非人道的なことを行っていたら懲罰を行うという180度変わった一面を見せていた。これは私にとって新発見というべきか、こう言ったことがあったと考えるとペリーらアメリカは暴力的に植民地政策を行ったということを戒めたという考えもある。

ただ一つ事実に挙げられるのがイラク戦争終結後のイラクにおける民主化の所でアメリカ兵(おそらく若いほう)がイラク人に虐待を加えそれが世界中に流れるや、すぐかどうかは分からないがその兵士を懲罰したということが挙げられる。つまり今も昔も植民地化後の政策には世界中の視線を気にしながら風紀を正していたというのがアメリカのやり方だったと推測できる(ただ日本におけるアメリカ兵の風紀はどうだったかというのは調べる余地がある)。

第4部は歴史観であるが特に目についたのは「性善説という病」である。佐藤氏が前までいた外務省をはじめとした日本政府を「性善説」を例えて痛烈に批判している。むしろ「お人よし」すぎると言ったたとえのほうがよかったのではと思う。それによって歴史認識問題が修復不可能になるまで泥沼化した。そういう意味で当時中枢にいた外務省幹部や何人かの政治家の責任は大きい。

大川周明による研究は数多いが、実際に研究書になった冊数はあまり多くない。しかし今日の歴史認識問題に関して重要な文献が多いのは確かである。これからも大川周明にまつわる文献を取り上げる予定である。