書く力 -ポジティブに生きるためのヒント-

私自身パソコンが好きで、仕事にしてもパソコンで行うことがあるのだが、その一方で手帳やメモをするなど、鉛筆やボールペンなどの肉筆で記録をすることも好きである。もっとも後者の方が長年行っているだけでなく、自分自身の考えや主張について考えを整理することができ、自分自身の持っている感情の整理や負の感情の除去をすることができるなど、心的な意味でも負担を緩和するツールとして今も昔も親しんでいるのが「書く」ことである。今となってはスマホやパソコンでなし得ることができるのかもしれないのだが、文書を肉筆で書くと言うことはスマホやパソコンではなし得ることのできない要素があるのかもしれない。その「要素」を本書でもって解きあかしている。

第1章「「勢いポジティブ」からの脱出」
人には誰しも「勢い」がある。それが感情の赴くままに流されてしまうものであるのだが、流れによっては悪いものがあり、それに棹されてしまうことによって自分自身を見失う、そればかりか取り返しのつかないことに巻き込まれることさえも起こりうる。そのため勢いから理性を取り戻すためにも「書く」ということは大切である。それは冒頭でも述べたように「感情の整理」にもなるからである。

第2章「あるものねだりで生きるには」
著者自身が「感謝オタク」であるのだという。その感謝をすることに対して「あるもの」に対して感謝をし続ける事によってポジティブに生きるのだという。その感謝をすることによってどのような効果を得たのか、著者自身の観点から述べている。

第3章「見たい世界は選べる」
自分自身の夢を叶えるために、どのようなプロセスが必要になるのか、そのプロセスを通じて、自分自身の「見たい世界」をどのようにすべきかを述べている。自分自身で未来を選ぶことをができるとしたならば、どのような世界を見たいかという問いになっているので、考えさせられる部分が多い。

第4章「好きになるのも技術のうち」
好きなことを選ぶことはもちろん必要である。しかし好きなこと・ものが分からないとしたら、ありとあらゆること・ものを「好きになる」という技術を磨くことも必要なのではないかと著者は主張している。もっとも自分自身も右も左も分からない時は「その仕事を好きになる」ということを念頭にして走ってきたことを思い出した。

「書く」ということは様々なメリットがある。それはスマホでもパソコンでも得られない者と言える。それだけでなく、周囲への感謝や好きになると言うことは、生きとし生けるものが「当たり前でない」ということと、貴重であること、大切であることを再認識させるものと言える。「不寛容」は「生きづらい」時代の中で、こういった力は重宝されるのではないかと思ってしまうような一冊であった。