事件に関する真相書類としては状況などの物的なものから、周辺の証言、さらには容疑者の自白調書などがあるのだが、この「自白」を巡って、虚偽自白により、無実の罪を着せられ、最悪死刑判決を受けるといった事件も少なくない。冤罪の温床となっている自白調書になぜ「虚偽自白」があるのか、そしてそれを逆手に取り、無罪を勝ち取ってきた道筋とは何かを取り上げている。
第一章「虚偽自白とはどういうものか」
今となっては可視化されてきている取り調べは、当時「苛烈」を極めるほどだった。一例としてごく最近のことで2003年に起こった「志布志事件」が挙げられ、「踏み字」を強要したり、罪を認めることを絶叫したりするような極めて「取り調べ」の体を成さず、「拷問」とも言えるようなことがあった。過去にも足利事件や袴田事件などが挙げられ、なかには冤罪でありながら死刑判決を受け、執行となった人もいる。
第二章「自白への転落―足利・狭山・清水事件」
本章では特に有名な3つの事件を取り上げている。その中で「清水事件」はよく言われる「袴田事件」の別名であり、事件が起こった場所の静岡県清水市からきている。もっとも3つの事件では志布志事件を遙かに上回るほど苛酷な取り調べを行っていた。かつて特高が行った取り調べに匹敵、もしくはそれ以上となるものであったという。中でも足利事件や袴田事件は特に顕著で、後者は数々の自白冤罪をつくり上げた紅林麻雄の薫陶を受けた人によって行われたとも言われている。
第三章「自白内容の展開」
自白をした後、すぐに終わりではなく、自白からどのような経緯で行われ、どのような動機があったかと問いかけ、語っていくという「展開」が待っている。その自白内容によって調書がつくられ、証拠として採用される。そのことによって冤罪が「つくられる」。
第四章「自白の撤回―自白を弁明するとき」
自白調書がつくられた後、裁判で撤回して無罪主張をする人も少なくないが、有罪率99%にもなる裁判では自白撤回は意味を成さないケースがほとんどである。
自白に対する冤罪は今もなお存在しているが、元々憲法38条には「黙秘権」や自白法則などが存在しているものの、戦後の事件ではそれが担保どころか、守られていない事例が存在している。そう考えると、かつての取り調べは平気で憲法違反が横行していたと言わざるを得ない。
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